saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第9話 彼方からのメッセージ (04)


(…心(マインド)以下にとどまることによっているのではなく
心(マインド)を乗り越えることによっているのだ
そして,それがことの次第なのだ )


インド人の人たちは仏陀を見ている
そして彼らはその静寂を見ている
そして彼らはその天恵を見ている
彼らはその気品を見ている
彼らは
人生があれほどのくつろぎの中で生きられるのだということを見ている
なんでそういう人生を生きないのか ? ーーー
ところが
彼らは四番目に行こうとする努力など何もしていない
反対に
彼らは三番目から逆戻りして二番目に落ち着いてしまう
それは仏陀の静寂のような何かを与えてくれはする
が,それは “のような何か” でしかない
それはそのものじゃない
つねに,過去に安住してより便利に快適になる方が易しい
仏陀は過去に安住したんじゃない
彼は未来に安住したのですらない
彼は時そのものに腰をおろしていないのだ
彼は時を落としているのだ
彼は時をつくり出す心(マインド)を落としている
彼は不安をつくり出す自我(エゴ)を落としている


インド人は未来を落とす方を選んでしまっている
どうもそれが不安をつくり出すように見えるからだ
未来は不安をつくり出す
あなたは未来を落とすこともできる
そうしたらあなたはすべり落ちるだろう
あなたはその前の状態に逆戻りするだろう
自我(エゴ)を落としなさい !
そうしたら,あなたは 乗 り 越 え る


三番目の領域は
パタンジャリが “目覚めの状態” と呼ぶものに近い
第一が眠り
第二が夢
第三が目覚め
あなた方の目覚めだ,もちろん
仏陀の目覚めじゃない
あなた方のいわゆる目覚めは
目は開いている
が,いろいろな夢が内側をさまよっている
目は開いている
が,眠りがあなたの内側にある
あなたは目が覚めているときでさえ眠りで一杯なのだ
これが三番目の状態だ
そしてそれは日常の役には立っている
もし昼の疲れが出ると
あなたは夢の中に落ちてゆく
それはあなたにくつろぎを与えてくれる
そうして,あなたは深い眠りの中に落ちてゆく
それはあなたにさらに深いくつろぎを与えてくれる
朝,あなたはふたたび新鮮だ
あなたは後退して骨休みする
なぜならば,それはもうすでに知っていることだからだ
そして,それはあなたのシステムの中におさまっている
あなたはその中にはいって行くことができる



第四の状態はつくり出さなければならない
それはあなたのシステムの中にはない
それはあなたの潜在性だ
が,あなたはいままで一度もその中にはいったことがない
それは骨が折れる
それは流れをさかのぼること
登り坂だ
第四の状態はキリスト圏
それは仏陀圏と呼んでもいい
それは同じ意味だ
それはクリシュナ圏と呼んでもいい
それは同じ意味だ
三番目の状態には一種の自由
ニセの自由
選択として知られる自由がある
これは理解されねばならないことだ
それには大きな重要性がある


第三段階では
あなたは一種擬似的な自由しか持っていない
そしてその自由が選択の自由だ
たとえば
「私の国は宗教的に自由だ」と言う
それはあなたが選べるということだ
あなたは教会に行ってもいいしお寺に行ってもいい
そして,国もその法律も
何ひとつうるさいことは言わない
あなたは回教徒になってもいい
ヒンドゥー教徒になってもいいしクリスチャンになってもいい
あなたは選ぶことができる
その国が自由だというのは
あなたはどこに住みたいか,何をやりたいか,何を言いたいのか
自分の人生を選べるという意味だ
表現の選択
表現の自由がそこにはある
これが自由と見なされているものだ
あなたは自分の好きなことが言える
自分のやりたいことをやれる
あなたは宗教の 政治の流派を選ぶことができる
あなたは共産主義者になってもいいし,ファシストになってもいいし自由主義者になってもいいし民主主義者でもいい
あなたは選べる
それはただのニセの自由にすぎない
なぜ私はそれをニセの自由と呼ぶのか ?
なぜならば
思考で一杯の心(マインド)が自由であり得るはずがないからだ


もしあなたが50年生きてきたとして
あなたの心(マインド)が両親たちや先生たちや社会によって条件づけされてきているとしたら
それでもあなたは自分が選べると思うかね ?
あなたはあなたの条件づけから選ぶだけだろう
どうしてそれが選択になる ?
まず第一にあなたは条件づけされてしまっている
それはちょうど誰かに催眠術をかけられるようなものだ
誰かをわれわれの催眠術師サントシュ(アメリカ人サンニャーシン,催眠療法を行う)のところへ連れて行ってごらん
すると彼はその人に催眠術をかけ
「明日の朝あなたはマーケットに行って
特定の銘柄の特定のタバコを買うだろう」と話す
深い催眠術の中でその人は暗示をかけられてしまう
明日の朝その人が目を覚ましても
自分がマーケットで ある特定の銘柄のタバコを買うことになっているなんて思いもかけないことだろう
なぜならば,その条件づけは無意識の中にはいっているから
無意識の中に挿入されているからだ
その人の意識的な心(マインド)は気づかない
彼はなんで自分がマーケットに行くのかも考えつかないだろう
だが,彼は何か理由を見つけるに違いない
彼は
「今日は買い物に行こうよ」と言うだろう
なぜか ?
なんで今日なのか ?
なぜ明日じゃいけないのか ?
なぜ明後日じゃいけないのか ?
なんで今日なのか ? ーーー
彼はこう言うだろう
「そんなの僕の自由じゃないか
いつだっていい
行きたいときに行くんだ
なんで君がぼくを止めるんだい ?
これはぼくの自由だ」
そして,彼は気づいていない
そして,彼は自分が自由だという観念を持ってマーケットに行くだろう
そして,彼は一瞬たりとも
自分が ある特定の銘柄のタバコを買うだろうなどとは考えてもみない
そうして,不意にある店の前に来る
と,彼は自分に向かってこう言う
「タバコをひと箱買わないか ?
ずいぶん長いこと喫ってないもんな」
そして,彼は自分がそれを考えているのだと思っている
そして,彼は店にはいって行くと
「この銘柄のタバコをくれ
ファイブ.ファイブ.ファイブ(か何かそんなものだろう)」
そして,もし彼に
「なんでファイブ.ファイブ.ファイブなんだ ?
なぜパナマじゃいけない ?
なぜウィルスじゃいけない ?
なぜバークレーじゃいけない ? 」と聞いたら
彼は「そんなのぼくの自由じゃないか !
ぼくには選ぶ自由がある ! 」と言うだろう
そして彼はファイブ.ファイブ.ファイブを買い
彼の自由を守るだろう
少なくとも彼の考えではそうだ
が,彼は自由じゃない
彼は条件づけされているだけだ


あなたはヒンドゥー教徒として
クリスチャンとして
回教徒として
インド人として中国人として
ドイツ人として条件づけされている
どうしてそのあなたが自由でなんかあり得よう ?
あなたはあなたの親たちによって
あなたの社会によって
あなたのお隣さんたちによって
あなたの小学校によって
中学,高校によって
大学によって条件づけされてきている
どうしてそのあなたが自由であり得る ?
あなたの自由はまがいものだ
それはニセものだ
それはあなたに自由の感覚を与えて喜ばせてくれるにすぎない
それ以外,その中には何の自由もありはしない
教会に行くとき
あなたは自分の自由から行っているだろうか ?
ヒンドゥー寺院に行くとき
あなたは自分の自由から行っているだろうか ?
それをよく見てごらん
そうすれば
あなたはそれが自由からじゃないことを発見するに違いない
ただ自分がたまたまヒンドゥー教の家庭に生まれたというだけのことなのだ


(05)へ続く