saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 「 第三の質問 」 (01)

 第三の質問

「私は これらの仏陀の経文(スートラ)を 楽しめません。

これらは無味乾燥で、難解で、込み入っています。

真理とは 単純(シンプル)なものではありませんか ?」

 

 

 真理は 単純(シンプル)で あって 同時にむつかしい

実際のところ、それは シンプルで あるがゆえに むつかしい

それは 実にシンプルだが

マインドは 非常に複雑だから、あなたは それを理解できない

あなたはそれを 見のがしつづける

それは あまりにもシンプルなので、あなたに どんな挑戦も与えない

それは あまりにもシンプルなので

あなたは 自分が真理を通過したことに まったく 気づかないで、その傍を素通りする

 

真理は 単純(シンプル)だ、 なぜなら 真理は 明白だからだ

しかし、単純であるとは 易(やさ)しい という意味ではない

その単純性は 実に 複雑だ

そのなかへ入れば、あなたは 迷い、けっして そこから外へ 出ることはできない

その単純性には 深みがある、それは 浅くない

その単純性に 達するためには、あなたは多くのものを 失わなければならない

そして、それらの ものを 失うことが むつかしいのだ

 

たとえば、なぜ これらの仏陀の経文が あなたに むつかしくみえるのだろう ?

 

それは、これらが 非論理的だからだ

あなたが 自分の論理を 失うことができれば、

それらは シンプルに なる

難しさは あなたのマインドから来る、仏陀の 経文からではない

彼は きわめてシンプルな 人だ

彼は シンプルに事実を 述べている

だが、問題は あなたから生じる

というのも、あなたは そのシンプルな事実を 受けいれることができないからだ

あなたは 自分の 観念をもっている

それらの 観念が じゃまをする

 

あなたは言う

「どうしてこんなことが ありえよう ?

もし この人が正しいとすれば、私の論理はすべて まちがっていることになる」

あなたは それを 認めることができない

あなたの受けた教育や 訓練は すべて論理的なものだった

そして仏陀は 非論理的なことを 述べつづけている

彼には どうすることもできない

その高み、その豊かさにあっては、論理は存在しない

彼に 何ができよう ?

 

その豊かさにあっては、あらゆるものが 逆説的だ

その豊かさにあっては、対極どうしが出会い、矛盾は互いに 補い合うものになる

彼に いったい何が できよう ?

 

彼は それらを明言しなければならない

問題は あなたから 生まれている

なぜなら、 あなたは自分の論理に従って それらの真理を解釈することを望むからだ

 

(01)終わり・・・(02)ヘ 続く