saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 「 第三の質問 」 (02)

(… 問題は あなたから 生まれている

なぜなら、 あなたは自分の論理に従って それらの真理を解釈することを望むからだ )

 

こういう場面を 想定してみようーーー

ある高校の物理学の授業で、ひとりの少年が反対した

「僕は アルバート・アインシュタインの公式を 認めません」

 

「認めないって ? どうしてかね ?」と 先生が言う

 

「まず第一に、それは退屈です

先生がそれを説明するときは いつでも、僕は どうしようもなく眠ってしまうんです

第二に、それは釣り合いがとれていません

ほらね !  Emc² 

彼は方程式の 一方の側に一字だけ置いて、ほかの 三つをまとめて 別の側に 置いています

それは 芸術的じゃ ありません

なぜこの三字の内の 一つを 左側に移して、公式を もっと対称的にしなかったのでしょう ?

だから僕は それが嫌いなんです」

 

さて、彼は すばらしい質問をしている

つまり、それは対称的ではない

「これは いったい何という方程式だろうーーーそれは両側が同等ではない」

それは 芸術的ではない

反対側に 一字置くだけで事態はもっと良くなり、もっと対称的になっていただろう

 

その少年は 自分が言っていることに まったく無自覚だ

が、 言っていることは すべて 一見 論理的にみえる

しかし、アインシュタインの公式は 人を楽しませるために そこにあるのではない

それは 現実を表現するためにある

もしあなたが それに退屈するとしたら

それはただ、あなたがまったく鈍才だ ということを示している

アインシュタイン相対性理論を理解できた者は 十二人しかいなかった と いわれる

この地球全体で たったの十二人 ?

 

真理は シンプルだ

が、その詳細を追求し、その実体(リアリティ)の中へ 深く入りはじめると、それは むつかしくなる

たとえば、聖アウグスチヌスは こう言ったと伝えられている

「誰もが 時間が何であるか知っている

私も時間が何であるか知っている

だが、誰かが『時間とは何か ? それを説明してみてください』と 私に訊ねたら

そのときには 私は途方にくれる」

 

あなたは 時間というものを知っている

あなたは時間に従って 生活している

朝の六時に 起き、夜の十一時に 眠りにつき、午后の 一時に昼食をとる

あなたは 会社ヘ行き、あなたは家に 帰る

あなたは 時間を使う

あなたは 時間が何であるか知っている

だがあなたは それを説明できるだろうか ?

 

説明しようとした瞬間、それは捕らえどころのないものになる

あなたは それを 見たことがない、けっして それを手にとって 見たことがない

あなたは それを 掴むことができない

それは いったい 何だろう ?

 

アウグスチヌスは 正しい

問題は、それを説明しようとしたときに 生じる

光は とても単純だ

それは いたるところに あり、樹の上で舞っている

大空全体が 光に満ちている

それを 盲人に 説明してごらん

そうすれば、彼は退屈して「そんなナンセンスは よしてください」と 言う

第一、 それを どうやって言葉にするかが とてもむつかしい ということがわかる

 

いや、光の問題は やめよう

それは科学的な問題だ、あなたは それには興味がないかもしれない

 

あなたは 愛したことがある

あなたは 愛が何であるか知っている

あなたは 愛したことがあるにちがいない

少なくとも自分の 母親、父親、姉妹、女性、妻、夫、子供を 愛したことは あるにちがいない

あなたは 愛とは何か 説明できるだろうか ?

そう聞かれると、あなたは黙りこむ

しうなったら、突然、 あなたは 知性をすべて失う

まるで誰かが あなたを打ち殺してしまったかのようにーーー

あなたは 麻痺する

愛とは 何か ?

あなたは それを定義できるだろうか ?

 

愛は、多かれ少なかれ、あらゆる人の体験だ

だが、誰ひとり それを定義できない

ニルヴァーナは 必ずしも万人の体験ではない

ニルヴァーナが 起こるのは まれなことだ

そして、仏陀ニルヴァーナとは何かを あなた方に説明しようとしている

真理は シンプルだが、説明しようとしたとたんに それは むつかしくなる

 

(02)終わり・・・(03)ヘ 続く