saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第二章 「 解き放たれた愛 」 (02)

(…葛藤や苦悩は ノーマインドと 一致しない
葛藤や苦悩が 生じるのは、マインドが 自分の力を 保とうとして闘うからだ
その闘いは マインドによって もたらされる )

マインドは 去ることを望まない
マインドは とどまることを望む
マインドは 非常に力強くなった
それは あなたを所有する
それは「いや、私は 外へ出ていかない、私はここにとどまる」と言う
葛藤や 苦悩は すべてマインドのせいで起こる

ノーマインドは それとはなんの関係もない
そしてあなたは この葛藤や苦悩を 通り抜けて行かなければならない
あなたが 葛藤や苦悩を 通り抜けて行かなければ、マインドは あなたのもとを去らない


もう一度 繰り返させてほしい

ノーマインドは あなたの葛藤からは 生まれない
葛藤から出るのは マインドだけだ
ノーマインドは どんな葛藤もなく やって来る
「岩」が あなたに葛藤をもたらす
それは 動きたがらない
それは何世紀も、何千年も その場所にとどまってきた
それを取り除くとは あなたは何さまか ?
「そしてあなたの言う その湧き水とは いったいなんのことだ ?
そんなものはない
私は何世紀ものあいだ ここにいて、そんなものはないことを 知っている
それについてはみんな忘れなさい」


しかしあなたは その岩を取り除きたい
その岩は 重い
その岩は 大地に根づいている
それは 非常に長いあいだ そこに居坐ってきた
それは 執着をもっている
それは 出て行きたがらない

そしてそれは まったく湧き水のことを知らない
しかしあなたは その岩を取り除かなければならない
その岩が 取り除かれないかぎり、湧き水は 流れ出さない



あなたは訊ねる
「爆発したり叩いたり切ったり、そういう野蛮な行為もなく・・・? 」

ノーマインドは あなたの行為とは なんの関係もない
だが マインドは 去らない
あなたは 叩いたり 切ったり、千と一つのことを しなければならない

「ノーマインドという観念そのものがーーーそれはマインドのなかに ありながら マインドを超越しているようにみえるのですがーーーノーマインドの 種のようなものでしょうか ? 」


ちがう、マインドのなかには ノーマインドの 種はない
マインドは ノーマインドの種でさえ 含むことはできない
マインドには それを包含する空間がない

ノーマインドは 広大だ、大空のようにーーー

それが どうやって、ちっぽけなもの、マインドのなかに 含まれることが できよう ?

それに、マインドは すでに あまりにも 一杯だ
思考、欲望、空想、想像、記憶などで 一杯だ
どんな空間もない

第一に それは非常に ちっぽけなものだ
それは ノーマインドを 含むことはできない

第二に それは あまりに 一杯で、込みすぎていて、騒々しい

ノーマインドは 静かだ

マインドは 騒々しい
マインドは それを含むことはできない
マインドは 止滅しなければならない
その止滅のなかで、新しい生、新しい存在、新しい世界が 始まる



あなたは訊ねる
「永遠、ニルヴァーナ、死、といった『マインドを超越する概念』の線に沿って 瞑想することは有益でしょうか ? 」


そのいわゆる「マインドを超越する概念」も 依然として 概念で、マインドのものだ
永遠のことを 考えているとき、あなたは どうするだろう ?

あなたは 考える
ニルヴァーナのことを考えるとき、何が 起こるだろう ?

あなたのマインドは 長々と お喋りする
そして、あなたに ニルヴァーナについての 美しい観念を与える
しかし それはすべて マインド・ワークだ


あなたは 死について いったい何を考えることができる ?
死について考える としたら、あなたは何を 考える ?

あなたは 知らない
どうやって あなたは、知らないことについて 考えることができる ?


マインドには 既知のものを 繰り返すことができる 完璧な能力が ある
が、未知のものの場合、それは 無能だ
あなたは 永遠を 知らない
知っているのは ただ 時間だけだ
あなたが永遠のことを 考えるときでさえ
それは 延長された 時間、 引き延ばされた時間にすぎない

しかし、それは時間だ


あなたは ニルヴァーナについて 何を知っている ?

あなたがそれについて 聞いたり 読んだりしたこと だけだ
それは ニルヴァーナではない
ニルヴァーナという言葉は ニルヴァーナではない
ニルヴァーナという概念は ニルヴァーナではない
神という言葉は 神ではない
神として仕立てられてきた 絵や像は すべて神とは なんの関係もない

なぜなら、「彼」には どんな名前も形も ないからだ


そしてあなたは 死について 何を 考えようというのだろう ?
どうやって 死について 考えることができる ?

あなたは幾ばくかのことを聞き、幾人かの人が死ぬのを 見たことはある
だが、あなたは けっして 死を 見たことはない
人が死んでゆくのを 見るとき、あなたは 何を 見るのだろう ?

その人は もう 息をしていない
あなたが 見るのは ただそれだけだ
その人の 体は 冷たくなった
あなたが 見るのは ただそれだけだ
それ以上 何がある ?
これが 死 だろうか ?
冷たくなっていく体、止まる呼吸ーーー
それが すべてだろうか ?

その人間の内奥の核心には いったい何が起こったのだろう ?

自分が死なずして 知ることはできない
自分が体験せずして 知ることはできない
未知なるものを知る 唯一の道は、それを体験することだ

だから、これらの概念は 役に立たない
それどころか、それらは むしろマインドを 強化するかもしれない
なぜなら、マインドは こう言うからだ
「ごらん
私は あなたにマインドを 超越する概念を与えることさえできる
私が あなたのためにしてあげていることを 見てごらん
いつも私を あなたと共に居させることだ
私はあなたが光明を得るのを助けてあげよう
私がいなければ、あなたはどこにもいない
私がいなければ、あなたはどうやって 死やニルヴァーナや 永遠について 考える ?
私は絶対に本質的な ものだ
私がいなければ、あなたはまったく 何ものでもない 」


いいや、こういう瞑想は 役に立たない
あなたは これを 見抜かなければならない
マインドは まったく役に立たないものだということをーーー
マインドは まったく無益だという その要点を見たとき
まさに その無益さのなかに、まさに その状態のなかに、沈黙が ある
すべて 止まる
マインドが 何もできないなら、そのときには なすべきことは 何も残されていない
突然、いっさいの思考が 麻痺する
それは鈍くなる
その麻痺状態のなかで、あなたは ノーマインドの 最初の一瞥を得る

ほんの小さな 窓が 開く・・・

そのマインドの 停止のなかで、あなたは ノーマインドの 味わいを得る

そうして 物事が 動きはじめる




(02)終わり・・・(03)へ 続く