saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3話 ーーー 知識は禍いなり(13)

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“ ここでは,おおシャーリプトラよ,一切のダルマは空(くう)の様相を呈している。 それらは生み出されることも止められることもなく・・・”


そして仏陀は言っている
何ひとつ なされるべきことはない
ただ理解だけでいい,と
これは ラディカルな声明だ

もし,あなたが それをひとつの洞察として 見ることができれば
それは あなたの生を そっくり変えてしまい得る


“ それらは生み出されることも止められることもなく・・・”

それらの形象は 誰が生み出しているのでもないし
それらの形象は 誰が止めているのでもない

仏陀は 操縦者としての神や
監督者としての,創造者としての神など信じてはいないのだ

そんなものは ひとつの二元対立
不必要な仮説でしかない
仏陀は,それはひとりでに起こっているのだ
それは 自然なものなのだ
誰も それをやってなどいないのだ,と言う

それは,まず神が
聖書に言われているように「光あれ」と 考えたから光があり
そして,ある日 神が
「光をなくせ」と言って光が消えるというようなものじゃない
なぜ こんな神を持ち込むのか ?

そして,なぜ神にこんな醜い仕事を与えるのか ?
しかも神は それを永久に,永久にやらなくてはいけないのだよ
「光あれ」,「光なかれ」,「光あれ」ーー
「今度はこの人間を生まれさせろ」
「今度は彼を死なせろ」ーー
ん ? ちょっと神のことや,神の退屈のことを考えてごらん

仏陀は 神を解放する


仏陀は そんなものは不必要だと言う
それは ただの自然なものなのだ,と
樹々は種をもたらし
そうして,種は樹々をもたらし
それから,樹々はまた種をもたらす
種とは何か ? ーー
樹の 消滅だ
その樹が 無形の中にはいり込んだのだ


あなたは ポケットの中に 種を持ち運ぶことができる
何千という種をポケットに入れて歩くこともできる
けれども,何千本の樹々をポケットに入れて歩くわけにはいかない
樹には形が,かさが,容積がある
種には 何もない
種の中をのぞいてみても何も見つかるまい


もし,あなたが見たことがなくて
種が樹になるということを知らず
そこへ誰かが,ひと粒の種をくれ
「ごらん,この種はとてもとても不思議なものなんだよ
これは大きな樹になって,何年もの間 たくさんの果実を実らせ
あざやかな緑となり
大きな木陰をつくって,きれいな花を咲かせ
鳥たちがやって来ては そこに巣をつくるんだ」などと言おうものなら
あなたは こう言い返すだろう
「何言ってるんだよ ?
こんなちっぽけな粒から ?
僕を 間抜けか何かと思っているのかい ?
なんでそんなことが起こり得る ?
あり得るもんか」


だが,それが起こるのは あなたもご存知の通りだ
あなたが 特別そのことに 注意を払わないのはそのためだ
ひとつの奇跡が起こっている
あの 小さな種が
その樹の設計図 全体をたずさえているのだ
葉っぱの形や サイズや数
そして,枝や,枝の形や長さ
それから,高さ,寿命
いくつの実を 実らせ,いくつの花を咲かせるか
そして,最終的に このひと粒の種が いくつの種を生み出すか ? ーー
科学者たちは
地球全体を 緑にするには,ひと粒の種でも 充分だと言う
それは途方もない潜在力を持っているのだ
地球だけじゃない
ひと粒の種だけで あらゆる惑星を緑にすることもできるのだ
なぜならば,ひと粒の種は 何百万という種を生み出し
その ひと粒ひと粒がまた 何百万という種を生み出し
以下同様に ずっと続いてゆくからだ
全存在が ひと粒の種から緑になり得る ーー

その〈無〉はものすごい潜在力を
ものすごい力を 持っているのだ !
すさまじい !
途方もない !
巨大だ !


仏陀
それは誰が生み出しているのでも
誰が止めているのでもないと言う
仏陀は,お寺に行って お祈りし
神様に
「これをやってください,あれをやらないでください」などと言う必要は何もないと言う

誰も いやしないのだ


ならば,彼のメッセージは 何か ?
彼は言う
「 それを 受け容れなさい
それは そ う な の だ
それは 物事の 自然なのだ
それはただ 自然なことにすぎない
物事は 来てはまた去って行く 」


この〈受容〉の中で
この〈タタータ tathata〉の中で
この〈如性〉の中で
一切の懸念が 消え失せる
あなたは 懸念から自由になる

そうしたら,そこには何の問題もない
そして,何ひとつ止めることも できなければ
何ひとつ変えることもできず
何ひとつ生み出すこともできない
物事は そのあるがままであり
そして物事は これからも あるがままにあるだろう

そうしたら,あなたが やることなど何もありはしない
あなたにできるのは ただ
それらの物事が起こるのを 見守ることだけだ
あなたは,それらの物事の中に 参 加 することならできる
在 り なさい
その 在ること(being) の中に 静寂がある
その 在ることの中に よろこびがある
その 在ることこそ 自由なのだ


“ それらは,汚されることも清浄であることもなく・・・”


この存在は 不潔でも純粋でもない
罪人であるような人は 誰もいないし
聖人であるような人も 誰もいない
仏陀の洞察は まったく革命的だ


(14)へ 続く