saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (05)

…( そして,まさに その見抜くことこそ 瞑想の はじまりなのだ )

それは その中に何の種も 持たない
それは その中に何の動機も 持たない

もし 何かのために 瞑想しているとしたら
そのときには あなたは依然として 世間にいるのだ

あなたの 心(マインド) は まだ安っぽい物事
取るに足らない 物事に 興味がある
だとしたら,あなたは 世間的だ

たとえもし 神に達しようと瞑想しているとしても
あなたは 世間的なのだ
なぜならば,瞑想は 何のゴール(目的地)も 持たないものだから ーーー


瞑想とは
一切の 目的地(ゴール)が 虚構だ という ひとつの洞察に ほかならない

瞑想とは
さまざまな欲望が どこにも導いてはくれない という ひとつの 理 解 なのだ
それを 見ること

そして これはあなたが 私から,仏陀から
あるいは イエスから 手に入れられるような ひとつの信条じゃない

これは 知識じゃない

あなたは それ を 見なければならないだろう
それは いまのいまでも 見れる !

あなたは 生きてきた
あなたは たくさんの動機を 見てきた
あなたは 騒動の中を 通ってきた
あなたは 何をすべきか,何をすべきでないか と考え

そして たくさんのことを やってきた
そのすべてが あなたをどこへ 導いた ?

ちょっと それを 見抜いてごらん !

私は 私に同意しろと 言っているんじゃない
私は 私を信じろと 言っているんじゃない

私は ただあなたが 拒み続けてきた ひとつの事実に
あなたの目を 開かせているだけだ

これは 理論じゃない
これはひとつの ごく単純な事実の 単純な表明にほかならない

ひょっとすると それが あまりにも単純で あるために
あなたは それを見ないで済ませているのかもしれない

心(マインド) というのは いつも複雑さに興味がある
というのも
複雑なものなら 何か手がかりがあるからだ
単純な現象については どうすることもできない


単純なものが 見のがされる
単純なものが おろそかにされる
単純なものが 無視される

単純なものは あまりにも明白,あからさまで
あなたは けっしてそれを のぞき込まない



(05)終わり・・・(06)へ 続く