saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第6話 ーーー Q&A 最初の質問 (03)

…( 子供には 何の コントラストもない
彼は 黒雲なしの 稲妻だ
仏陀は 黒雲の中の 稲妻だ )

昼のあいだも
空には ちゃんと星がある
星たちは どこに行くわけでもない
そんなに 急にどこかに行けるものじゃない
星たちは 消え失せられるわけじゃない
ちゃんと そこに ある

一日中 そこにあるのだ
ところが,夜になってはじめて
あなたは 彼らを 見ることができる
暗闇のせいで 彼らが現われてくるからだ
太陽が 沈むとともに
彼らは 現われはじめる
太陽が地平線から 深く深く沈んでゆくにつれ
もっともっと たくさんの星々が湧き上がってくる

彼らは 一日中 そこにあった
だが,暗闇が なかったために
彼らを見ることが 困難だったのだ


子供には 無垢がある
が,何の 背景も ない
あなたは それを見ることができない
あなたは それを 読むことができない
それはあまり 声高なものじゃない

仏陀は 彼の生を 生きてきた
良きにつけ悪しきにつけ
必要なことは すべてやってきた
こっちの極もあっちの極も 触れてきた
罪人にも なってきたし 聖人にも なってきた
覚えておきなさい
ブッダというのは ただの聖人君子じゃない
彼は 罪人で あったこともあるし
聖人で あったこともあるのだ
そして
ブッダフッドというのは その両方を超えたものだ
いまや彼は〈我が家〉に 戻っている


だからこそ仏陀は,きのうの経文で
そこには いかなる苦しみもなく,苦しみの原因もなく
苦しみの停止もなく,苦しみを なくす道もない
そこには いかなる認識も,知識も
そしていかなる達成も無達成もない,と 言うのだ

仏陀が 目覚めたとき
彼は「あなたは 何を達成したのですか ?」と 聞かれた
すると 彼は笑って こう言った
「私は 何を達成したわけでもない
私は ただ すでに そうなっていたところのものを 発見しただけだ
私は ただ単に 我が家に戻って来ただけなのだ
私は,すでに私のものであり
私とともにあったものを 宣言したのだ
だから,達成というようなもの それ自体は何もない
私は ただ単にそれを 認識しただけだ
それは 発見じゃない
それは 再発見なのだ」と

そして,ブッダになってみれば わかるだろう
何ひとつ ブッダになることによって 得られはしない
突然,あなたは これが 自分の本性なのだ ということを見る

けれども,この本性を認識するためには
あなたは 道を 踏みはずさなければならない
世間の混乱の中に 深くはいり込んで行かなければならない
あなたは あらゆる種類の 泥まみれの場所や空間に はいって行かなければならないのだ
あなたの 全き清潔さ
あなたの 全き純粋性を はっきりと 見抜くために ーーー


先日 私は,自我(エゴ)が どのように形成されるか
自我(エゴ)という幻覚が どのように強められてゆくか
七つの扉についての話をした

それについて いくつかのことがらが
さらに深く はいって行くために 役立つだろう


これら自我(エゴ)の 七つの扉は
お互いどうし そんなにはっきりと分かれた 別々なものじゃない
それらは 重なり合っている

そして,七つの扉の 全部から 自我(エゴ)に 達している人を 見出すのはごく稀なことだ
もしその人が 七つの扉 全部から自我(エゴ)に 達しているとしたら
彼は 完璧な自我(エゴ) に なっている

そして,完璧な自我(エゴ)だけが 消え失せる力を 持っているのだ
未完成な自我(エゴ)では 駄目なのだ

実が 熟したとき
それは 樹から 落ちる
実が 未熟のとき
それは しがみつく
覚えておくといい
まだ 実が熟していないからこそ しがみつくのだ
もし 実が熟していたら
それは 地面に落ちて 消え失せる
それと同じことが 自我(エゴ)についても 言えるのだ


ここに ひとつの パラドックスがある
ただ 本当に進化した自我(エゴ)だけが 明け渡せる



(03)終わり・・・(04)へ 続く