saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第6話 ーーー Q&A 最初の質問 (02)

…( 仏陀の無垢は 成熟した人のものだ
完全に 熟しきっている )

幼年期(childhood)とは,自然の無意識なものを言う
ブッダフッド(buddhahood)とは 自然の意識的なものを言う
幼年期というのは 中心(センター)など つゆ知らぬ周辺部分だ

仏陀もまた周辺ではある
が,中心(センター)に 根ざしている
中心が 決まっている

幼年期というのは 無意識なる無名性だ
ブッダフッドとは 意識的な無名性だ
両方とも 名前を持たない
両方とも 形を持たない
けれども,子供というのは まだ形を
そしてその悲劇を 知らないのだ
それは ちょうど
あなたが 一度も牢屋にはいったことがないようなものだ
それで,あなたは 自由の何たるかも 知らない
しかし,何年もの間
あるいは 何生もの間 牢屋にはいってきてごらん
そうして,ある日 釈放される
あなたは監獄の門から こおどりして,恍惚となって 出てくるだろう !

すると,あなたは びっくりするに違いない
すでに 外にいる人たち
道を行く
仕事に,オフィスに,工場に向かう人たちは
彼らの自由を 全然 楽しんでいないのだ
彼らは それを忘れている
彼らは 自分たちが自由なのを 知らないのだ
しかし,どうして彼らに それがわかる ?
彼らは 一度も監獄に はいったことがないのだから ーーー

彼らは その コントラストを 知らない
背景となるものが 抜けている

それは ちょうど
白い壁に 白いチョークで書いても
誰も それを読めやしないのと 同じことだ
他人のことなど言えるかね ?
あなたでさえ 自分が何を書いたのか 読めないに違いない


ムラ・ナスルディンについて ひとつ有名な話を聞いたことがある
彼の村では 彼が 字の書けるただひとりの人間だった
そこで手紙を書きたかったり,書類が必要だったり
何かあると みんながやって来るのがつねだった
字の書けるのは 彼しかいなかったのだから
ある日,ひとりの男が やって来た
ナスルディンは 手紙を書いてやった
その男の言うことを ひと言も漏らさずに ーーー
しかも,それは 長い手紙だった
すると その男は言った
「どうか 今度は それを読んでみてください
全部ちゃんと 書いてあるかどうか
私が何も忘れてはいないかどうか
そして,あなたが 何も書き落としたり
おかしくしてしまっていないかどうか 確かめたいのでね 」


ムラは言った
「さてと,これは困ったことになったぞ
私は 書き方は知っているけれども 読み方を知らないんだ
もっといけないのは
この手紙は 私に宛てられたものじゃないから
それを読むのは 違法になってしまう 」


すると,その村人は あっさり納得する
ムラの見解は完全に 的を射ていた
その村人まで
「なるほど おっしゃる通りだ
それはあなた宛じゃないやね」と 言いだす始末だった


もし 白い壁に書けば
あなた自身ですら それを読むことはできまい

だが,もし黒板に 書けば
それは はっきりと声高になる

あなたは それを 読むことができる
そのコントラストが 必要なのだ


子供には 何の コントラストもない
彼は 黒雲なしの 稲妻だ

仏陀は 黒雲の中の稲妻だ



(02)終わり・・・(03)へ 続く