saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1章「人間 −− 永遠と永遠の架け橋」(10)


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(10/終回)

( …肝腎なことは ただひとつ、 油断なく醒め、意識し、気づいている ということだ。

 

「夜の王」という この話は、話だけのことではない。

本当の ことだ )

 

我々は みな、それを ただの話だと 解釈する。

我々の解釈は、我々の眠りを 正当化するものであり、

弁護のためのものでしかない。

我々は 言う。

「それは 風以外の何ものでもない。 雲以外の何ものでもない」と。

 

そうすれば、安心して 眠っていられる。

我々は 宗教を 否定し続ける。

我々は 眠りを打ち壊すもの すべてを、否定し続ける。

我々は 神など いない、宗教など ない、何もない。

あの音は 風以外の何ものでもない。

雲以外の何ものでもないと、言い訳をする。

そうすれば 安心して 心地良く眠っていられる。

もし神が 存在したら、もし聖性が 存在したら、もし 今の我々より優れた何かが 存在したら、我々は そんなに都合良く 眠ってはいられない。

我々は、敏感で 覚醒するようになり、

奮闘、努力し、一生懸命 努めるようになる。

そうしたら、変容が、即刻の関心事に なる。

 

気づきは 己を 統一するための、

内なる炎を 手に入れるための テクニックだ。

 

それは 隠されている。 それは 発見され得る。

 

そして、一度 発見されて 初めて、我々は 寺院に入れるようになる −−− それ以前ではない。

決して それ以前ではない。

 

だが、我々は 象徴によって 自分たちを だます。

象徴が 存在するのは、より深いリアリティーを 我々に示すため なのに、我々は 自分を だますために 使ってしまう。

 

我々は 外にある お香を焚き、外面的な 礼拝を することはできる。

そういうことをすると、なにかを したのだ と、安心する。

 

我々は まったく宗教的でないにも関わらず、

自分たちは 宗教的になった と 感じる。

 

それが 世界で 起こっていることだ。

それが今、地球が こうなっている 理由だ。

誰もが 内なる炎を 持たず、ただ外面的な象徴に従ったことで「自分達は宗教的だ」と 思っている。

 

たとえ うまくいかなくても、努力するがいい。

それが あなたの出発点だ。

何度も 何度も失敗するだろう。

が、 たとえ失敗しても、それは 役立つ。

 

あなたが 一瞬間、意識的であることが できなかったとき、 はじめて 自分が いかに無意識であったかを 感じるのだ。

 

通りを 歩いて行く。

あなたは 無意識に ならずして、一歩も歩くことは できない。

何度も何度も 自分を 忘れる。

あなたは 看板を読みはじめ、自分を 忘れる。

誰かが 通り過ぎる。 あなたは その人を見る。

その時、 あなたは 自分を忘れている。

たとえ うまくいかなくても、それは 役に立つ。

それは、いかに あなたが無意識であるかを 示している。

 

もし「自分が無意識である」と 気づけたら、

あなたは 何らかの意識を 獲得する。

 

もし狂人が「自分は狂っている」と 認識できたら、

正気に向かう 道にある。

 

 

 

『究極の錬金術 2』

 第1章「人間−−永遠と永遠の架け橋」(10) (抜粋/引用)終わり・・・

 

第2章「トータルであることは 至福だ」質疑応答、最初の質問(01)へ 続く