saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第17章「意識の完全なる開花に向かって」(15)

(15)

( 私が「瞑想しなさい」と 言うとき 

多くのことが 理解される必要がある。

それは  裁かない ということ。

「怒りは 悪い」と 言ってはならない。

「怒りは 良い」と 言ってはならない。

その感情に対して 何もしてはならない )

 

怒りは、ちょうど 蛇が部屋の中に 入ってきた時のように そこに存在する −−− ただ それに気づいていることだ。

蛇は礼拝されるべき神かね ? 

そうではない !  殺されるべき敵かね ? 

そうではない ! 

ただ、蛇が部屋に入ってきた と 気づいていなさい。

その蛇を、気づきの対象として利用しなさい。

ちょうど その怒りがあなたの内側に パッと浮き上がるように −−− 気づいていること、意識していること、注意深いままでいること、 そして 何もしないことだ ! 

ただ 注意深いままでいる。

 

何か し始めると、注意深いままで いられない。

あなたには、ほんの少しのエネルギーしか ないので、行為し始めると、そのエネルギーは 行為へと向かう。

だから 何もしないこと。

静かで、穏やかで −−− 注意深く ありなさい。

あなたが使える限りの、全てのエネルギーを −−− 怒りがある という事実に、ただ注意深くある ことに −−− 使いなさい。

 

すると 突然、 自分の意識の焦点が 大きくなっていると 気づくだろう −−− あなたは 無意識を 貫いている。

あなたの 意識の光は、闇の中に 深く入っている。

その無意識の闇を 貫けば貫くほど 

あなたは より意識的になっていく。

それは 長い努力であり、骨が折れる。

 

骨が折れるというのは、 無意識を貫いていくことは 

とてつもない不便さを 生み出すからだ。

あなたは とても、 居心地が悪くなるだろう。

やってごらん、そうすれば わかる。

 

 

あなたには 二つのことができる。

自分の 怒りから行為する か −−− それは楽だ。

それによって あなたは解放される。

結果が どうであろうと 少しの間、解放される。

内なる無意識の不安から 解放される。

それとも怒りと 闘うか。

もし 怒りと闘えば、それでも解放される。

怒りとの闘いで、怒るときに使うのと 同じだけのエネルギーが 使われるからだ。

次のことを 覚えておきなさい。

自身の怒りと 闘っている者は 

実際は 対象を 変えているにすぎない。

 

私が あなたに対して 怒る。

私は あなたと 闘うつもりだった。

が、私は その闘い全体を、自身の 怒りに向けていく。

エネルギーの向きを 逆にする。

 

私は あなたと喧嘩するつもりだったが 

私は道徳的な人間だ。 私は聖人だ、宗教的な人間だ。

だから、 あなたと喧嘩するわけにはいかない。

しかし、誰かと 闘わなければならない。

そこで、自分と闘う。 自分の怒りと 闘う。

 

そうすれば、同じだけのエネルギー、 同じだけの 開放が起こる。

私は 闘った、 すると 深い満足感がある。

 

いわゆる聖人の顔に 見られる、いわゆる満足の表情は、闘いと勝利からの、深い満足以外の 何ものでもない。

 

そして実のところ、それは もっとも ずるいことだ。

その闘いは、延々と続く結果を 生み出すからだ。

もしあなたが 両方なら、もしあなたが 自分を二つに分けるなら −−−「絶対怒らない 良い人」「無意識に怒る 悪い人」−−− 

もしあなたが 自分を 二つに分けるなら、永遠に闘い続けることになる。

 

外側では 聖人だろう。

だが、内側では ただの火山であり 

ただの 深い混乱であり、それ以外ではない −−− 

内的な 病気、 絶えざる 葛藤だ。

 

セックスと 闘っている者は 

ずっとセックスと 闘い続けねばならないだろう。

怒りと闘っている者は

ずっと怒りと闘い続けねばならない。

それは 絶え間なき 闘いだ。

内側に 静寂は 存在しない −−− あり得ない。

だから、我々は 自分を二つに分けている。

悪い人、 良い人。

 

あなたは 自分の中に 二つの部分を持っている。

覚えておきなさい、 悪い人 とは 無意識のことであり 

良い人とは 意識的であることを言う。

 

そして 一旦、あなたが 自己の無意識を敵として見れば、決して それを変えることも 変容することもできない。

そうしたら、別のものに変わることはなくなる −−− 

というのも、無意識は 敵ではないからだ。

それは あなたのエネルギーであり、源であり、あなたの生体エネルギーの源だ。

 

もしあなたが 自分を 二つに分けるなら、決して健康では あり得ない −−− 病気になってしまう。

闘うのではない !  溺れるのではない ! 

どちらも たやすい、楽なことだ ! 

 

唯一 とても心地悪く、楽ではない のは 

油断なく 覚めている状態のままでいることだ。

習慣の 全メカニズムが 

あなたに 何かを させるように強いるだろう。

「何をやってんだ ? やれ ! 何でもいいから やるんだ ! 」と。

この習慣を 打ち破ることだ。

 

まず最初に、自分が無意識である と はっきり知り 認識することだ。

 

第二に、いつであれ 無意識が あなたを操り始めた時、 それに気づき、 油断なく覚め 意識したままでいることだ。

それには ごく単純で、 受け身の油断なさが 必要とされる。

 

 

(15)終わり(16)ヘ 続く