saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1章「人間 −− 永遠と永遠の架け橋」(09)


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(09)

 

 タゴールは「夜の王」と題した 一つの詩を書いた。

それは とても意味深い 寓話だ。

 

百人の僧がいる 大きな寺院があった。

ある日、首座である偉い僧が 夢を見た −−−「その夜、聖なる客人が やって来る」という夢だった −−− 彼らが 待ちに待ち焦がれていた 聖なる客人が。

 

たいへん 長いあいだ、寺院は 聖なる王が 訪れるのを 待ち続けていた。

寺院の聖霊が やって来る ! 

だが、その首座は 疑った。

「それは ただの夢だ。 もし それが ただの夢だとしたら、みんな笑うだろう。 でも、誰にわかる ? −−− それは 本当かもしれない。

それは聖なるゲストからの 本当の啓示かもしれない」と。

 

首座は それを他の者たちに 言うべきか言わざるべきか、思い悩んでいた。

そうしている内に、恐ろしくなってきた。

 

それは 本当かもしれない ! 

 

午後、 彼は みんなに そのことを 言った。

彼は 僧たち全員を 集め、寺院の全ての扉を 閉めた。

そして彼らに「外に出てはいかん。 誰にも 言ってはならん !

私の見たものは ただの夢かもしれない。

でも、誰にわかる ?

だが、 私は それを夢に見た。

その夢は あまりにもリアルだった。

夢の中で、この寺院の王が『私は今夜 ここにやって来るから、用意を整えておきなさい !』と 言ったのだ。

だから 我々は油断してはならない。

今夜は 眠ることはできない」と。

 

そこで彼らは 寺院全体を飾りたて、寺院すべてを掃除した。

彼らは ゲストを迎え入れる 全ての準備を整えた。

そして 彼らは 待った。

 

そうしている内に、次第に 疑いが湧きだした。

その時、 誰かが「こんなことは 馬鹿げている。 これは ただの夢だったんだ。 我々は 睡眠時間を無駄にしている。」と 言った。

 

夜も 半分が過ぎる頃には、

もっと疑いが 湧き起こりはじめた。

その時、誰かが 反逆して こう言った。

「私は もう寝ますよ。 こんなことは 馬鹿げています。

丸一日 無駄にして、まだ我々は 聖なるゲストを待っている。 誰も来やしない !」と。

 

すると 大勢が 彼を支持し、大勢が笑って こう言った。

「それは ただの夢だ。 なのに、どうしてそんなに 真剣に、その夢に関わらなければならないんだ !」と。

 

首座も みんなの声に負けて こう言った。

「ただの夢だったかもしれないな。

その夢が 本当だ と どうして私に言える ?

そんな夢のことを 真に受けて、我々は 全く馬鹿で愚かだった かもしれない」と。

 

そこで彼らは「いいや、ひとりだけは 門で待っているほうがいいよ。 あとの みんなは寝てしまっても構わないから。

もし誰か来たら、その人が みんなに知らせればいいんだから」と。

 

九十九人の僧は 眠ってしまい、門で待っているように言われた ただ一人の僧が こう言った。

「九十九人が、それはただの夢だ と思っているのに、どうして私が 眠る時間を無駄にしなきゃならないんだ ?

もし聖なるゲストが やって来れば、やって来させればいい。

彼は 凄い馬車に乗って やって来るだろうよ。 そうしたら もの凄い音がするだろうし、みんな起きるだろう」と。

 

扉を 閉め、彼も 眠ってしまった。

 

馬車が やって来て、馬車の車輪が 凄い音をたてた。

その時、眠っていた僧の誰かが「王が やって来ているみたいだよ。 馬車が凄い音を立てているようだ」と。

すると、ちょうど眠ったばかりの 他の誰かが「そんなことで眠る時間を無駄にすることはない。 どうせ誰も来てやしないよ。 あの音は馬車じゃない。 あの音は、ただ空の雲が ごうごう鳴っているだけだよ」と。

 

そうしていると、ゲストが やって来て、扉を叩いた。

 

誰かが寝ながら 再びこう言った。

「誰かがやって来て、扉を 叩いているようだが」と。

そこで首座、彼自身が「さあ、 もう寝なさい。 何度も何度も みんなの眠りを 邪魔するんじゃない。 誰も 扉を叩いてやしないよ。 ただの風だ」と 言った。

 

朝になって、 彼らは 泣き叫んでいた。

というのも、 馬車が 夜、寺院に 来ていたのだった。

通りに馬車の 轍のあとが ついていて、聖なるゲストが 扉の所までやって来て ノックしたのだ。

段には、埃の上に 足跡が ついていたのだった。

 

このような寓話は たくさんある。

ブッダとマハヴィーラが しばしば語ったのは、一つの本質的な 考え方についてだった。

 

それは、悟りはいつでも、いかなる瞬間でも 起こり得る という話だ。

悟りは いつでも 起こり得る。

 

肝腎なことは ただひとつ、 油断なく醒め、意識し、気づいている ということだ。

 

「夜の王」という この話は、話だけのことではない。

本当の ことだ。

 

 

 

(09)終わり(10/終回)へ 続く