saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1章「人間 −− 永遠と永遠の架け橋」(08)


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(08)

( そして はじめて、内なる炎が 発見される。

それは そこに ある )

 

かつて存在し、今も存在する あらゆる宗教に共通する 必須の同一性を探し出すなら、

人はこの「気づき」という言葉を 見い出すだろう。

 

生について語られた イエスによる 物語だ。

 

 大きな屋敷の主が 外出していた。

彼は 召使いたちに、絶えず全体に気を巡らし、目覚めているように と 言っておいた −−− それは、いつでも彼が帰って来れるように という理由だった。

そこで 二十四時間、彼らは 目覚めて過ごしていなければならなかった。

 

いつでも主が 帰って来れるように −−− いつでも ! 

何月 何日 何時に 帰って来るということは 決まっていない。

もしそれが決まっていたら、眠ることも できる。

したいことは 何でもできる。

主が帰って来る日時、 ただ その決められた日にちだけ、注意深くしていればいい。

だが、その屋敷の主は こう言った。

「私は いつでも帰って来るだろう。  昼であれ夜であれ、お前たちは 私を出迎えねばならない」と。

 

この話は 生について語られた 寓話だ。

あなたは 延期できない。

いつ何時、神が やって来るかもしれない。

いつ何時、主が 帰って来るかも知れないのだ。

 

人は 常に、油断なくしていなければならない。

日時は 決まっていない。

いつ その突然のハプニングが 起こるか、何も わからない。

人は ただ、ひとつのことを しなければならない。

 

それは 油断なく 待つこと ! 

 

 

 

(08)終わり(09)へ 続く