saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章 「 完全な〈空〉」 最初の質問 (01)

 最初の質問

「バグワン、 あなたと私の関係においてさえ、言葉は かならずしも重要ではなくなってきています。

いったい どうして ブッダとボーディサットヴァが 語る必要があるのでしょう ?」

 

 

 いったい 何の話かね ? 

何について 語っているというのかね ? 

 

それは 一度も 起こらなかった

誰ひとり 何も 言ったことはないし、誰ひとり 何も 聞いたことはない

 

『ダイヤモンド・スートラ』のなかには 経文(スートラ)は いっさいない

マハサットヴァ

だからそれは『ダイヤモンド・スートラ』と 呼ばれる

それは完全なる〈 空 (くう)〉だ

もし 言葉にとらわれたら、あなたはその メッセージを見のがす

『ダイヤモンド・スートラ』は まったく 空っぽだ

その なかには メッセージは まったくない

そこには、 読むべきものも、聴くべきものも いっさいない

それは 完全なる沈黙だ

 

もし『ダイヤモンド・スートラ』のなかに 何かを 読んだら

あなたは それ を 見のがしたことになる

もしそのなかに 何かの教え、何かの哲学を 見出すとしたら

そのときには、あなたは 空想しているにちがいない

それは あなたの夢に ちがいない

ブッダは何も語らなかったし、スブーティも 何ひとつ聞かなかった

 

その「語らないこと」と「聞かないこと」の なかで、何かが 起こった

言葉を超えた 何かが ーーー

アーナンダは それを、あなた方のために 言葉で捕らえようとした

が、それは 言葉では 伝わらなかった

それは 二つの〈空〉のあいだの交流だった

 

あなたは ちょっと海へ 出かける

あなたは朝、新鮮な空気、太陽の光、そして波を見る

それから 家に帰って、誰かに自分の見てきたことを語る

そのときには、あなたは ただ言葉だけを語る

「海」という言葉は 海ではない

「太陽」という言葉は 太陽ではない

「新鮮さ」という言葉は 新鮮さではない

いったい どうやってそれを 伝える ? 

 

あなたが海岸から 帰って来ると、恋人が「どうだった ?」と 訊ねる

あなたは 起こったことすべてを 言葉で 表現しようとする

それは言葉では 表現できない

言葉に還元できない ということを じゅうぶん知りながらーーー

言葉は 非常に 色褪せている

 

確かに、 何かが、 超越的な 何かが 仏陀とスブーティのあいだに起こった

おそらく彼らは 互いの眼のなかを 見入ったにちがいない

仏陀の臨在(プレゼンス)によって、スブーティの意識のなかの 何かが触発された

アーナンダは それを あなた方に報告しようとしている

あなた方は 盲目だ

あなた方は光を 見ることができない、ただ「光」という 言葉しか聞けない

だから憶えておきなさい

『ダイヤモンド・スートラ』は まったく経典(スートラ)ではない

だから それは『ダイヤモンド・スートラ』、「最も貴重なもの」と 呼ばれる

それは 哲学、 体系、 理論を いっさい含まないからだ

それは言葉をいっさい含まない、それは 空っぽの書物だ

 

もし言葉を忘れて、言葉の隙間の中に より深く入れたら

もし文章を忘れて、その行間、合い間、休止の中に より深く入れたら

そのときには、あなたは 何が起こったかを見出す

それは 言葉のコミュニケーションではない

 

私も あなた方に語りかけている

だが、私のメッセージは 言葉のなかにないことを忘れないよう、あなた方に注意したい

それを得るためには、 あなたは言葉の上を踏まなければならない

言葉を、階段として、踏み石として 使うことだ

憶えておきなさい

踏み石は、その跳び方を 知らなければ、障害物になりかねない

 

あなたは沈黙のなかで 沈黙を聴かなければならない

マハサットヴァよ、仏陀は ただのひと言も 言葉を発していない

そしてスブーティも ひと言も聴いてはいない

あなた方のために 幾つかの地図をつくったのは、アーナンダの慈悲だ

それらの「地図」は 国そのものではない

インドの地図を 持っていてもその地図は インドではない

インドであることは できない

どうしてそんなことが ありえよう ? 

しかし、それは あなた方にとって 限定つきで 役に立つことはできる

それはあなた方を 実際のインドへ導くことができる

それは、路傍の道しるべの 矢印のようなもので、 どこかを指し示している

 

この『ダイヤモンド・スートラ』全体は 沈黙を指し示している

 

 

(01)終わり・・・(02)へ 続く