(21)
( もしあなたが 本物であれば、寺院は 本物となる。
そうすれば、どんな寺院であろうと
どんな場所であろうと、寺院に なる。
そこに 違いは ない )
ハッサンについて、こんな話を聞いたことがある。
彼は モスクで 七十年間、礼拝を 続けた −−− 絶え間なく。
村中の人々が、七十年間、 モスクで礼拝を続けているハッサンのことを 良く知っていた。
事実上、モスクと礼拝は 一つになっていた。
モスクなしには 誰も ハッサンのことを考えられなかった。
ハッサンなしには 誰も モスクのことを考えられなかった。
彼はそこで毎日 五回 礼拝していた。
彼は 一度も 村を離れたことが なかった −−−
どこかへ行くと、そこには モスクが なかったからだ。
彼は どこで祈ればいい ?
毎日 五回、一日中、祈ることに費やしている状態だった。
たとえ、たまに病気の時でも、祈りは 欠かさなかった −−− 彼は モスクに やって来た。
ある朝、彼がモスクで 見あたらなかった時、礼拝に通っているみんなが 唯一思ったことは、彼が 死んでしまったんじゃないか、 ということ だった。
その ほかに 可能性が なかった。
彼は 今まで一度も、祈りを欠かさなかった !
何年も、何年も、五回 祈るために 一日中、ハッサンは そこ、 モスクにいた。
そこで、モスクに集まった者 全員が ハッサンの小屋に 出かけた。
彼らは、ハッサンは 死んだに違いない と 思っていた。
でなければ、どんなことがあっても、彼を 妨げることはできない、 と。
が、ハッサンは 死んではいなかった。
その老人は、一本の 木の下に座っていた。
人々には、まったく 訳がわからなかった。
彼らは ハッサンに
「何をしているんだね ?
お前さん、 その年で 異教徒にでも なってしまったのかい ?
祈るのを 止めてしまったのかね ?
どうして モスクに 来なかったんだね ?
みんな、 お前さんが てっきり死んでしまったもんだと思っていたんだよ。
でも、 ピンピンしているじゃないか。
もし死んでいたんなら、俺たちも 不思議には思わなかったんだが、来てみりゃあ、お前さんは ピンピンしているじゃないか。
これは おかしい。訳がわからないよ」と 言った。
すると、ハッサンは
「俺は ずっとモスクに通い続けて来た。
それは、 俺が 彼の寺院が どこにあるのか 知らなかったからだ。
でも 今、俺は 知った。
彼の寺院は 至る所にある。
だから、もう モスクへ行く必要がない。
彼の寺院は ここにある。 見ろよ !
彼は ここに いる −−− 至る所に」と 言った。
村人たちには その「彼」が 見えなかった。
みんなは、彼は 狂ってしまったのかもしれない と 思った。
寺院の 真正性、寺院の 真実性は あなたに かかっている。
インチキ礼拝者には、真の寺院は 見つけられない。
その彼が どこへ礼拝に出かけようと 自分自身の偽りの中を 動く。
それらの寺院すべては インチキになってしまう。
というのも、礼拝者がインチキだからだ。
どこへ 礼拝に出かけようと 彼らは、彼らのインチキ性と ともに出かける。
賢者 曰く
『あらゆるところに “それ” を感得すること、それが 唯一の香りだ』と。
(21)終わり(22/終回)へ 続く