saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(21)


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(21)

( もしあなたが 本物であれば、寺院は 本物となる。

そうすれば、どんな寺院であろうと 

どんな場所であろうと、寺院に なる。

そこに 違いは ない )

 

ハッサンについて、こんな話を聞いたことがある。

彼は モスクで 七十年間、礼拝を 続けた −−− 絶え間なく。

村中の人々が、七十年間、 モスクで礼拝を続けているハッサンのことを 良く知っていた。

事実上、モスクと礼拝は 一つになっていた。

モスクなしには 誰も ハッサンのことを考えられなかった。

ハッサンなしには 誰も モスクのことを考えられなかった。

彼はそこで毎日 五回 礼拝していた。

彼は 一度も 村を離れたことが なかった −−− 

どこかへ行くと、そこには モスクが なかったからだ。

彼は どこで祈ればいい ? 

 

毎日 五回、一日中、祈ることに費やしている状態だった。

たとえ、たまに病気の時でも、祈りは 欠かさなかった −−− 彼は モスクに やって来た。

 

ある朝、彼がモスクで 見あたらなかった時、礼拝に通っているみんなが 唯一思ったことは、彼が 死んでしまったんじゃないか、 ということ だった。

その ほかに 可能性が なかった。

彼は 今まで一度も、祈りを欠かさなかった ! 

何年も、何年も、五回 祈るために 一日中、ハッサンは そこ、 モスクにいた。

 

そこで、モスクに集まった者 全員が ハッサンの小屋に 出かけた。

彼らは、ハッサンは 死んだに違いない と 思っていた。

でなければ、どんなことがあっても、彼を 妨げることはできない、 と。

が、ハッサンは 死んではいなかった。

 

その老人は、一本の 木の下に座っていた。

人々には、まったく 訳がわからなかった。

彼らは ハッサンに

「何をしているんだね ?

お前さん、 その年で 異教徒にでも なってしまったのかい ?

祈るのを 止めてしまったのかね ?

どうして モスクに 来なかったんだね ?

みんな、 お前さんが てっきり死んでしまったもんだと思っていたんだよ。

 

でも、 ピンピンしているじゃないか。

もし死んでいたんなら、俺たちも 不思議には思わなかったんだが、来てみりゃあ、お前さんは ピンピンしているじゃないか。

これは おかしい。訳がわからないよ」と 言った。

すると、ハッサンは

「俺は ずっとモスクに通い続けて来た。

それは、 俺が 彼の寺院が どこにあるのか 知らなかったからだ。

でも 今、俺は 知った。

彼の寺院は 至る所にある。

だから、もう モスクへ行く必要がない。

彼の寺院は ここにある。 見ろよ !

彼は ここに いる −−− 至る所に」と 言った。

 

村人たちには その「彼」が 見えなかった。

みんなは、彼は 狂ってしまったのかもしれない と 思った。

 

寺院の 真正性、寺院の 真実性は あなたに かかっている。

インチキ礼拝者には、真の寺院は 見つけられない。

その彼が どこへ礼拝に出かけようと 自分自身の偽りの中を 動く。

それらの寺院すべては インチキになってしまう。

というのも、礼拝者がインチキだからだ。

どこへ 礼拝に出かけようと 彼らは、彼らのインチキ性と ともに出かける。

 

賢者 曰く

『あらゆるところに “それ” を感得すること、それが 唯一の香りだ』と。

 

 

 

(21)終わり(22/終回)へ 続く