saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1章「人間 −− 永遠と永遠の架け橋」(07)


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(07)

( そのエネルギーを、この経文は「火だ」と 言う )

 

生 全体が、存在全体が エネルギーであり、火だ。

火 というのは 昔の古い 呼び名であり、

現代では 電気と 呼んでいる。

人間は それに 実に多くの 名前を付けた。

だが、 火という 言い方は 適切だ。

電気では、少しばかり 死んでいるように思える。

火は、それより もっと生き生きとしているように思える。

その 内なる火を、この経文では お香だと言う。

 

礼拝に行くとき、あなたは いくらか お香を持って行く。

その お香が 用をなすのは、

あなたの 内なる炎を お香として持っている時だけだ。

 

この ウパニシャッドは、外側の象徴に 内側の意味を 与えている。

すべての象徴が、それに対応する 内側の意味を持つ。

 

外側は 外側で いい。

だが、それだけでは 充分ではない。

それは ただの象徴だ。 それは 本質ではない。

それは 何かを 示してはいる。が、 実物ではない。

 

あなた方は お香を見たことがあるに違いない。

寺院では、どこでも お香が焚かれている。

それは それでいい。

だが、それは ただの外側の象徴にすぎない。

内なる炎が 必要だ。

ちょうど お香が 香りを与えるように、

内なる炎も また香りを与える。

 

マハヴィーラが行くところでは 皆、 彼の存在を 捉えがたい香りとして 感じていたそうだ。

それは 多くの人々によって伝えられた。

それは あり得る ! 

あなたが 内側に 統一していればいるほど、

あなたの全存在が 一つの香りになっていく。

 

感受性の鋭い人は、その香りを感じられる。

だから寺院に入るとき、外側の お香ではなく、

内側の お香を携えて行くがいい。

 

そして その内なるお香は、意識を 通してのみ 手に入る。

ほかに 方法は ない。

 

注意深く行動すること。 それは 長い、 険しい道程だ。

一瞬でさえ、意識的である ということは難しい。

マインドは 絶えず揺れ動いている。

が、それは 不可能ではない。

それは 骨がおれる。 難しい。が、不可能ではない。

それは可能だ ! 

 

誰にでも できる。 ただ 努力が必要なだけだ −−− 全身全霊を込めた 努力が。

 

何ひとつ内側に触れずにすまさないように。

すべてを 意識のために 犠牲にすることだ。

 

そして はじめて、内なる炎が 発見される。

それは そこに ある。

 

 

 

(07)終わり(08)へ 続く