(19)
( あなたは 変容され、同じあなたでは なくなるからだ。
あなたが “それ” を知り、内側で “それ” を 感じれば、目を開けると “それ” は 至るところにある )
そうなると、あらゆる物事が ただ、鏡になる。
あなたは “それ” を 考える必要は ない。
そんな必要はない。あなたは 覚えている必要はない。
“それ” は そこにある −−− そこにあるのだ !
内側に感得される “それ” は、あらゆるところに 感得される。
実際、内と外という 区分は なくなる。
あなたの内が外になる。
そうすれば、内と外との間の 区分全体が 無意味なものになる。
一度、あなたが “それ” を、無限なる内側を 知ってしまえば、それは 外側と同じになる。
すると、まったく異なる感覚が 湧いてくる。
あなたは 内側にいるが外側にはいない、 といったものではない −−− あなたは 至るところにいる状態に なる。
内と外 というのは、一つの事実の 両極にすぎない。
あなたは その二つのあいだに広がってしまう。
そうすれば、あなたが 事実 −−−“それ” に なる。
一方の極が、前に言ったように 内として知られ もう一方の極は 外として 知られる。
あなたは その両極のあいだに広がってしまう。
それらは あなたの 両極になってしまう。
その 内なる知が 本物の宗教だ。
そして、この経文 曰く
『あらゆる所に “それ” を感得すること、
それがガンダ、唯一の芳香だ』と。
もし それを知れば、もしその 聖なる芳香の内に、その至福の内に生きるなら、それが道だ。
(19)終わり(20)へ 続く