saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第17章「意識の完全なる開花に向かって」(18)

(18)

( この経文は ただの象徴ではない −−− 実際、単なる象徴にすぎない象徴はない −−− それは 事実を 指し示している )

 

いつであれ、あなたが サマーディ、 七番目のチャクラの 意識状態に至ると、内側で花が咲いたような 微妙な感覚を味わう −−− 何かが パッと開いたような。

そうなれば、もうあなたは 蕾ではない −−− あなたは 花になった。

 

その花とともに、神の寺院ヘやって来なさい。

それが この経文の意味だ。

市場で買った花では 駄目だ。

私が「市場で買った花」と言ったのは、市場の中でさえ 

花を育てることが可能になったからだ。

花は 店の中で育っているように思える。

花は 店の中で 生産されている。

買ってきた花では駄目だ。

外の花では駄目だ、あなた自身の花が必要だ。

その花しか 受け入れられない。

 

それは 骨が折れ、長い時間がかかる。

だが 不可能ではない。

それが 人間にとって唯一の チャレンジだ。

ほかの全ては、ただ 子供じみた 馬鹿げたことにすぎない。

 

意識に満ちることが 唯一のチャレンジだ ! 

 

月へ行くこと、どこかにある遠い 星へ行くことなど、全て 子供じみている −−− 

月へ行けても、あなたは 同じままだからだ。

あなたは 種のままだ。

一輪の花に ならない限り、あなたは 進んでいない。

が、内側が 花開けば あなたは転換され 変わり、新生する。

努力が必要だ。 大変な 努力が 必要になる。

 

そして もし −−− その「もし」は 大文字だ −−− もし あなたが 最初の一歩を踏み出せれば 

最後の 一歩は そんなに遠くない。

だが その「もし」は 最初の一歩に関して 言っているのだ。

 

もしあなたが 最初の一歩を 踏み出せれば 

旅の半分は 終わったようなものだ。

 

最初の 一歩が 一番難しい。

自分が 無意識だ と 認識することは、 完全に エゴを打ち砕く。

それは エゴにとっては 完全に粉砕されることであり ショッキングなことだ。

だが、 もし人が そのショックを受け止め、迎える用意があるなら、最後の 一歩は そんなに遠くない。

 

実際、 クリシュナムルティは こう言っていた。

「最初の一歩が 最後の一歩だ」と。

それは ある意味で そうだ。

最初の一歩を踏み出す者は 最後の一歩まで行くだろうから。

 

マハヴィーラは こう言った、「もし あなたが最初の一歩を踏み出したのなら、あなたは到達した」と。

というのも、最初の一歩を踏み出す用意がある者には 問題は 存在しない。

 

旅は 始まった。

到達するのは、それほど 難しくない。

人は、 一度に一歩 進むことを 要求されるだけだからだ。

 

千マイルの旅も、一度に一歩 踏み出すだけで 完結される。

誰も 一度に 二歩進む 必要はない。

誰も そんなことは要求されていない。

 

 

(18)終わり(19)ヘ 続く