saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(22/終回)

(22) 終回、

( 賢者 曰く

『あらゆるところに “それ” を感得すること、それが 唯一の香りだ』と )

 

その香りと ともに、彼の所へ行きなさい。

彼の 足元に 頭を垂れるのだ。

だが、そのときには 行くということはない。

そのときには どこへ行こうとも、あなたは現在の中にいる。

もし香りが 内にあれば、現存は 外にある。

もしあなたが “それ” の感覚で満たされていれば 

求める ということは なくなる。

 

禅師、 睦州は、煩悩即菩提 −−− この世界が 究極のものだ、 と言った。

彼が はじめてこう言った時、彼の弟子たちは戸惑い、そして 睦州に「何を おっしゃるのですか ?  煩悩即菩提ですって !

この世界が究極のものだと !

この世界がブラフマンだと !

一体、何を おっしゃっているのですか ? 」と 言った。

すると 睦州は

「私は それを知らなかった。 無知だった。

そこには 区別があった。

だが、私が、“それ” を はっきり知った時、その区別は 消え去った −−− 今では 全てが “それ” だと わかる」と。

 

そして、最後の こと。

“これ” と “それ” とは 無知な者のための 区別であり、無知ゆえの 区別である ということ。

 

あなたは “これ” だけを 知っている。

そして “それ” は ただの概念に すぎない。

あなたが “それ” を 知るに至った時 

“これ” は ただの日常の概念、便宜的な ものになる。

もしあなたが “これ” しか 知らなければ 

“それ” は ただの概念、形而上学的な概念に すぎない。

もし “それ” を 知るに至れば、“これ” は 消え去る。

“それ” を 知るということは 

世界が 消え去ることではない。

世界は そのまま残る。が、あなたにとっては “これ” ではなくなるだろう −−− 

この世界は “それ” に なるだろう。

 

マホメッドの弟子、アリが 誰かに叩かれ、意識を失った。

彼は 余りにひどく叩かれ、意識を失ったのだった。

そして、彼を襲った奴は 逃げてしまった。

そして、誰かほかの者が来たときには 彼を襲った奴は、もうその場には 見つからなかった。

アリは 路上で 意識を失った状態で 発見された。

そして、その場に 居合わせた者が 彼を介抱し  その中の誰かが 水を 持って来た。

彼らは みんな、アリを助けようと 何かをしたのだった。

そうしている内に、彼は 意識を回復し 近くにいた誰かが 彼を扇いでいた。

また ある者は 彼のそばに座り 彼の 頭を叩いていた。

 

そして、彼のそばに座っていた人がアリに聞いた「大丈夫ですか ? 

あなたを 扇いでいる この人が 誰だか わかりますか ? 」と。

彼は、アリの意識が戻ったか どうか知るために、彼に そう聞いたのだった。

 

すると アリは「どうして私に “彼” が わからないなんてことがあるのかね ?

私は “彼” が私を叩いた人と 同じ人間だと わかっている」と 言った。

 

聞いた人は、彼の意識は まだ回復していない と 思った。

彼を 叩いた奴は、もう 逃げていたからだ。

どうして 彼を叩いた人間が 彼の意識の回復を 助けるだろう ? 

彼は アリを扇いでいた。

すると、その男は「アリ、まだ意識がはっきりせず、混乱しているようだね。この人は あなたを叩いた人間じゃないよ」と言った。

すると アリは「どうして “彼” が “それ” でないなんてことが あり得よう ?

私には “それ” 以外に 何も見えない。

だから、彼が私を 叩いていた時、私は 彼が誰だか 知っていた。

そして、今度は その彼が私を 介抱してくれている。

私は 彼が誰かを 知っている −−− そして、彼らは両方 同じ人だ !」と言った。

 

これは 不二元の概念、感覚だ。

あなたが “それ” を知った時、“これ” は 消え去る。

あなたが “これ” を知った時、“それ” は どこかで ただの概念のまま留まる。

 

だが、あなた自身から 始めるのだ。

他の どこかから 

“それ” を 見い出そうと してはならない。

さもなければ、“それ” に 至る旅は とても 長くなるだろう。

あなたは“それ” に 到達するかもしれないし  到達しないかもしれない。

百八十度 ターンする −−− 

まず 自分自身の中心に “それ” を 求めるがいい。

 

 

(22/終回)終わり・・・