saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 02)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(02)

 

(…三つ目、他の道を選択できて、初めて あなたは 何かを捧げられる。

もしあなたが 捧げないで いられるなら

捧げられる ということだ。

その時、それは あなたの選択だ )

 

人間は ちょうど、木のように根づいている。

人間とは 実存に根づき、存在に根づいている 一本の木だ −−− ただ、動く根を 持っているだけの話だ。

人間は 存在から 分離した 存在ではない。

奥深いところでは、分離していない。

人間は 自分自身の存在に関して、責任を 負っていない。

人間は、どうしても 不分離の世界に 返っていかねばならない。

ちょうど、川が海の中に 流れ落ちていくように。

どこに 選択の余地がある ? 

どうして あなたが何かを捧げられる ? 

あなたの死は、あなたが 選択する しないに関わらず

ひとつの合流に なるだろう。

では あなたは 一体誰なのか ? 

どんな立場に あるのか ? 

捧げることが 可能なのは

あなたが どういう立場に立っている時だろう ? 

この経文は とても 深い。

 

この経文 曰く

『マインドが常に “それ” ヘと向かっていること、それが捧げものだ』

 

あなたは 自分を捧げることは できない。

が、自分のマインドなら 捧げられる。

それは あなたのものであり、あなたの選択だ。

もしあなたが マインドを捧げない と言うなら

神は それを捧げるように 強制できない。

あなたは どうしようもない状況に あるわけではない。

それは、川が海に流れ落ちるような 状況ではない。

 

マインドには 選択がある。

あなたは 神を否定し続けられる。

そして神には、自分の存在を あなたに認めるよう

強いることはできない。

あなたの実存は、あなたのマインドではなく  神に根差している。

存在に関する限り、あなたは神を 否定できない。

あなたは その一部だ。

が、意識に関しては 神を 否定できる。

神の存在を 完全に否定し、神は存在しない という意識状態の中でも 生きることはできる。

「神は いる」と言おうが「神は いない」と 言おうが

それは あなたの選択であり得る。

たとえ、神が 存在しない としても、あなたは神を 作り出すことができ、その神を 信じることができる。

その反対に、たとえ、神が存在していても

あなたは その存在を 否定できる。

何者も、ある考え方を あなたに押しつけられない。

 

 

(02)終わり(03)ヘ 続く