saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章「全一であることの奥義」(01)


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質問………

OSHO、あなたは しばしば、マインドとは 過去の体験と死んだ記憶の積み重なったものだ、と説明されます。「その生き生きとした表面の現れさえ、それ自体のものではない。 それは実存の源から供給される」と。

昨夜あなたは、マインドは人が神に捧げられる唯一のものだ、とおっしゃいました。 でも、それには捧げるだけの価値があるのですか ? 

 

 

 三つのポイントが 理解されねばならない。

第一に、 マインドには 二つの意味がある。

一つは 中身。 もう一つが 器だ。

 

私が「中身」と言うのは、思考、記憶、死んでしまった過去、その蓄積されたもの のことだ。

しかし、それは 中身だけだ。

もし 全ての中身が 放り出されたら、器が残る。

 

その器を、あなたは 捧げることができる。

 

それらの 思考、記憶、過去には 実際、価値がない。

捧げる価値のないものだ −−− だが、器には 価値がある。

マインドには 二つの意味がある。

マインドという文字が 大文字の「M」で書かれていれば、それは常に「器」のことだ。

あなたは その器を 捧げることができる。

 

それが『マインドが絶えず “それ” ヘと向かっていること』という この経文の意味だ −−− 器を捧げるということ。

 

『絶えず “それ” ヘと向かっている』とは、器の中には

今や “それ” 以外の 中身がない、という意味だ −−− 

無思考、無記憶、過去がない、無欲、未来がない、無、ということだ。

 

今や、器としてのマインドの 中には、たったひとつの中身 −−− “それ” しかない。

それが 捧げものだ。

 

そして 中身のそれらは、実際死んでいる。

あなたのマインドは、それらが死んで 初めて  吸収するからだ。

たとえば あなたのマインドは、過去か未来の どちらかに 動く。

 

そして、マインドが過去に動く時、それは死の中を動く −−− 全てが死んでいて、何一つ 生きているものがない。

過去とは、あなたの 記憶以外に どこにも存在しない。

過去は どこにあるだろう ? 

それは どこにも ない ! 

 

あなたは どこにも 過去を見つけられない。

それは あなたの 記憶の中にだけ存在する。

 

 

(01)終わり (02)ヘ 続く