saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」二番目の質問 (02)

二番目の質問 (02)

( エゴは、それ自身の投影によって 強まる。

さもなければ エゴは崩れてしまう )

 

霊的なビジョンは、 エゴを 完全に破壊する。

投影されたビジョン、あなた自身のイマジネーション、あなた自身の 夢は、あなたという存在を強める。

それは 一種の食物だ。

それによって、あなたのエゴは より活性化される。

 

ウパニシャッド 曰く

「 “ 自分は知った ” と言う者は 知らない。

“ 自分は悟った ” と言う者は 悟りから 程遠い」

 

ある人が 私の所にやって来て、その人の見たビジョンを語った。

「私は宗教的に 高い境地にあります。 私は宗を教を極めた者です。

私はこういうビジョンを、 ああいうビジョンを見ます」と。

それは あたかも、自分の免状を携えているかのようだった。

自分の豊かさ、いかに裕福か、 いかに学歴が高いかを。

そういうことは あり得ない。

彼のビジョンは 作り出されたもの、自分自身の マインドが作り出したビジョンにすぎなかった。

 

もしマインドが ビジョンを作り出しているとすれば マインドは強まる。

もしビジョンが 彼方からやって来ているとすれば マインドは打ち砕かれる。

それらの ビジョンは、同じ種類の ものではない。 

 

だが 始めは、ビジョンの中では その違いが 見極められない。

本当に クリシュナのビジョンを見たのか、それとも、自分の夢だったのか、判断できない。

あなたには 違いを はっきりさせられない −−− 

もし あなたが 本物を見たのなら、夢を見ることは なかっただろうし、もしあなたが 夢を見ていたのなら、本物を 見ることはなかった だろうから。

では、 どうやって 比較する ? 

 

あなたには 比較できない。が、ひとつのことは確かだ。

それは、あなたが どんな類の ビジョンを見たのかが それを示す ということだ。

 

もし そのビジョンが あなたのエゴを 助長するとすれば、それは 一種の投影だ。

 

もし そのビジョンが あなたという存在を

完全に消し去り、あなたという存在を 完全に打ち砕き、あなたという存在が 消えてしまうのなら、真正であり本物だ。 

それが 唯一の基準となる。

 

だから、宗教家で、もし その人の宗教性が高まり、よりエゴイスティックに なるとすれば、彼は 偽の道にある −−− 彼は 自分の宗教性が 高まっている と 想像している。

 

もし彼が 本当に 宗教的に深くなっていれば、深くなればなるほど、自分は 消え去り、自分というものは ないと感じるはずだ。

 

 

(02)終わり(03)ヘ 続く