saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(17)


f:id:saleem:20230105085307j:image

(17)

(…あなたは自分自身に、“それ” は あらゆるところに存在する、と 自己催眠をかけることはできる。

あなたは あらゆる 石の中に “それ”を 感じている、と 

繰り返し続けることが できる )

 

やってごらん !  それは いい経験だ。

二十一日間、絶えず “それ” を、聖なるものを、神を、至るところに 感じることを、試しに やってごらん −−− 

全ての 葉っぱの中に、全ての 石の中に、あらゆる所に。

あなたのマインドの中に やって来るものが 何であれ、それは “それ” だ ということを 三週間、絶え間なく 想起し続けてごらん。

 

すると、あなたは自分の周りに ある種の 幻想を作り出せるだろう。

そうすれば、あなたは LSDや、メスカリンや、マリファナを やったような、非常に気分が 高揚したような 幸福感の中にいる状態になるだろう。

ある一定の感覚を 絶えず反復することで どんな麻薬を使うこともなく 幸福感を投影できる。

マインドは、それ自体の麻薬を 作り出すことができる。

だが、それは骨が折れる。 麻薬なら、とても簡単だ。

が、そのプロセスは同じだ。

 

薬を飲み、インスタントの天国が あなたにやって来るのなら、それは どういうことだろう ? 

それは、麻薬が あなたの自己防衛機能を すべて引き降ろし、あなたの論理、合理的な考えを、崩し落とした ということだ。

あなたは 目覚めている という夢の中にいる −−− 

一つの達成としてではなく、ただ麻薬の力に よって。

あなたは 目覚めている という夢の中にいる。

LSDによって、目覚めている という夢の中にある。

ティモシィー・レアリーは チベットの神秘家と LSDを常用している者とを 比較する本を書いた。

そして その中で、両者の体験は 同じものだと言っている。

彼は、マルパや ミラレパについて、その本の中で 言及している。

カビールエックハルト、ファンポー、輝海、バヤジット、ラビア、彼らが 知ったこと、彼らが知るに至ったことは 何であれ、まったく LSDの体験と同じものだった、と 言えると。

 

ティモシィー・レアリーは ある意味では正しい −−− 

が、それでも 根本的なところで 間違っている。

彼が ある意味で 正しいというのは その体験は似通ったものだ からだ。

が、同じではない。

あなたが マインドの、論理の、合理性の防衛機能を 引き降ろしてしまうように 麻薬を取ったときは、夜 寝ていて、夢の中にいるのと同じ 状態になる。

その違いとは、その状態では、あなたは 目覚めている という夢の中に ある、というだけのことだ。

あなたは 起きていながら、夢を見ている。

そこで、もし 一頭の馬が 牛になったとしても そこに 何の問題もない。

この目覚めている状態での 夢とは 事実全体に 新しい虹色を与える。

あらゆるものが 新鮮になる。

全ての ラベルが 落ちる。

あなたの夢は 全てに広がる。

 

その状態では、内側で 化学的に起こっていることは 何であれ、外側に投影されている。

 

あなたが 外界に見る色は、内側の マインドの投影だ。

その状態では、あなたの夢が 至るところに 投影される。

 

 

(17)終わり(18)へ 続く