saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (09)


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(09)

( 意識を 呼吸に集中させると 思考は 自動的に 止まる。

あなたは 考えることが できなくなる。

というのも、あなたが考えた瞬間、意識は 呼吸から思考へと 動いてしまうからだ。

すると、あなたは 息を 見逃す )

 

次のことをすれば、わかるだろう。

呼吸に 気づいていれば 思考は止まる。

思考するために使われていた 同じエネルギーが 呼吸に気づくことに 使われる。

 

あなたが 考え始めれば、息の動きを見逃してしまう。

あなたは息の動きを 忘れ、考えてしまう。

それらの 両方を 同時にはできない。

そして、もしあなたが 呼吸覚醒の道を 行くなら 

それは 長い プロセスだ。

人は そのなかに深く入っていかねばならない。

最低でも 三ヶ月、最高 三年は かかる。

もしこの方法を 一日 二十四時間 やり続けるとすれば −−− 

 

この方法は、すべてを 放棄した僧侶たちの手法だ。

彼らは 二十四時間、ただ 呼吸に目覚めていることしか しない。

だから仏教の僧侶たち、また他の宗教の 僧侶たちは、この手法の邪魔にならないように、自分たちの生活を 最低限度のものにしていた。

彼らは自分たちの食料を 托鉢で得て、木の下で寝た −−− 

それが 全てだ。

彼らの時間の全ては、あるひとつの内なる修行のために捧げられていた −−− たとえば、呼吸に 気づいていること。

仏教の僧侶は 托鉢に出る。

彼は その間も、自分の呼吸に ずっと気づいている。

 

あなたが仏教の僧侶に見る 穏やかさは、呼吸への 気づきからくる穏やかさ以外の何ものでもない。

 

(09)終わり(10)ヘ 続く