saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (10)


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(10)

( あなたが仏教の僧侶に見る 穏やかさは、呼吸への 気づきからくる穏やかさ以外の何ものでもない )

 

あなたが 意識している時、あなたの顔は 穏やかになる。

というのも、思考が そこになければ、あなたの顔の表情は 不安、思案を表すことは あり得ないからだ。

当然、あなたの顔の表情は リラックスしている。

そして、絶え間なく呼吸に 気づいていれば マインドは 止まる。

絶えず 想い煩っているマインドは 止まる。

 

そして マインドが止まれば 

あなたは ただ、息の 出入りに 気づいている。

もし マインドが 働いていなければ 怒れないし 性的にはならない。

 

セックス、怒り、貪欲、嫉妬、羨望 −−− どんな感情であれ、マインドが 機能していることが必要だ。

もし マインドの機能が止まれば、何もできない。

そうすると、それは また同じことになる。

今や セックス、 怒り、 貪欲、 野望に使われていたエネルギーには 出口がない状態だ。

そして あなたは 昼も夜も 絶え間なく、呼吸に意識を集中させ続けている。

 

ブッダ 曰く

「寝ている間も、呼吸に気づいていようとしなさい」

 

それは 最初は難しいだろう。

だが 日中、息の出入りに 気づいていれば、眠りの中まで、だんだんと気づきは 深く入って行くだろう。

日中、マインドに深く入ったものは 何であれ 眠りの中まで 深く入って行く。

 

もし 日中、あることで 心を 悩ましていたとすれば それは眠りの中まで入って来る。

 

もし セックスのことを 絶えず考え続けていたら、それは眠りの中に入って来る。

もしあなたが 一日中、怒っていたら その怒りは 眠りの中に入って来る。

だからブッダは「それは何も難しいことではない」と 言ったのだ。

 

もし絶えず 呼吸、 息の出入りに 気づいていれば、最後には、その気づきは 眠りの中まで 深く浸透してくる。

そうしたら、夢を見ることは できない。

もしあなたの意識が 息の出入りを捕らえていれば 

眠りの中で 夢を見ることはできない。

あなたが 夢を 見るとき、気づきは そこにない。

もし気づきがあれば、夢を見ることは 不可能だ。

 

だから、仏教の 僧侶の眠りは まったく あなた方の眠りとは違う。

彼の眠りには 普通とは違った質がある。

その眠りには 深みが、 ある種の 気づきがある。

 

 

(10)終わり(11)ヘ 続く