saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(13)

(13)

( 言葉は 人とのコミュニケーションだ。

それは ただのコミュニケーションだ。

それは 役に立つ、が、 危険だ −−− 何か 道具が役に立つ時は 常に、同じ割合で 危険を孕んでいる )

 

その危険とは 次のようなものだ。

マインドが 言葉の中を 進めば進むほど 中心から 遠のいていくということ。

そこで人間には 微妙なバランス、微妙な習熟が必要だ。

 

言葉の中に 入って行きながら、しかも言葉を 離れることができ、言葉の外に 出て行くことができ、言葉の世界を 抜け出せるというような。

 

観る とは、言葉から、言葉にすることから、マインドから 抜け出すことだ。

観るとは 無心(ノーマインド)の状態、無思考の 状態だ。

だから、試してみなさい !  それは 長い努力だ。

そして 何も予測できない。が、やってみなさい。

その努力は、あなたに 言葉が突然消え去ってしまう瞬間を 与えてくれるだろう。

そうすれば 新しい次元が開ける。

そして あなたは 前とは違う世界 −−− 同時性の世界、今とここの世界、ノーマインドの世界、実在の世界に 気づく。

言葉は蒸発すべきものだ。

だから、言葉を 使わないで 日常の行為をし 

身体を動かしてごらん。

 

ブッダは この技法を、呼吸を 見守ることに使った。

彼はそれを「ヴックス」と 言った。

自分の呼吸を 見守り続けなさい。 何もしては ならない。

ただ 息が 入り、息が 出ていく、息が入り、息が出ていく、それを 見守る。

それを 言葉にしない −−− それを 感じる。

息が 入って来る、言葉なしで。

息が入って来るのを感じ、息と ともに動く。

あなたの意識を 

その息と ともに 深く入って行かせなさい。

そして、その意識を 外に出させなさい。

息と ともに 動き続けなさい。

注意深く ありなさい ! 

 

ブッダは 次のように言った。

「一息たりとも 見逃してはならない。

もし 生理的レベルで 一息でも見逃したら、あなたは死んでしまう。

気づきにおいて、もし 一息でも見逃したら、あなたは 中心を見逃す。

そうしたら、あなたは 内側で 死んでいる」

 

ブッダは「呼吸は 肉体における生命の根本的なものだ。

そして、呼吸に気づいていることは、内なる中心における生命の 根本のことだ」と言った。

 

 

(13)終わり(14)へ 続く