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( 言葉は 人とのコミュニケーションだ。
それは ただのコミュニケーションだ。
それは 役に立つ、が、 危険だ −−− 何か 道具が役に立つ時は 常に、同じ割合で 危険を孕んでいる )
その危険とは 次のようなものだ。
マインドが 言葉の中を 進めば進むほど 中心から 遠のいていくということ。
そこで人間には 微妙なバランス、微妙な習熟が必要だ。
言葉の中に 入って行きながら、しかも言葉を 離れることができ、言葉の外に 出て行くことができ、言葉の世界を 抜け出せるというような。
観る とは、言葉から、言葉にすることから、マインドから 抜け出すことだ。
観るとは 無心(ノーマインド)の状態、無思考の 状態だ。
だから、試してみなさい ! それは 長い努力だ。
そして 何も予測できない。が、やってみなさい。
その努力は、あなたに 言葉が突然消え去ってしまう瞬間を 与えてくれるだろう。
そうすれば 新しい次元が開ける。
そして あなたは 前とは違う世界 −−− 同時性の世界、今とここの世界、ノーマインドの世界、実在の世界に 気づく。
言葉は蒸発すべきものだ。
だから、言葉を 使わないで 日常の行為をし
身体を動かしてごらん。
ブッダは この技法を、呼吸を 見守ることに使った。
彼はそれを「ヴックス」と 言った。
自分の呼吸を 見守り続けなさい。 何もしては ならない。
ただ 息が 入り、息が 出ていく、息が入り、息が出ていく、それを 見守る。
それを 言葉にしない −−− それを 感じる。
息が 入って来る、言葉なしで。
息が入って来るのを感じ、息と ともに動く。
あなたの意識を
その息と ともに 深く入って行かせなさい。
そして、その意識を 外に出させなさい。
息と ともに 動き続けなさい。
注意深く ありなさい !
ブッダは 次のように言った。
「一息たりとも 見逃してはならない。
もし 生理的レベルで 一息でも見逃したら、あなたは死んでしまう。
気づきにおいて、もし 一息でも見逃したら、あなたは 中心を見逃す。
そうしたら、あなたは 内側で 死んでいる」
ブッダは「呼吸は 肉体における生命の根本的なものだ。
そして、呼吸に気づいていることは、内なる中心における生命の 根本のことだ」と言った。
(13)終わり(14)へ 続く