saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(11)


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最初の質問

(11)

( セックスは生において、他のものより さらに根本のところに あるために、最初にきて当然だ。

それは アルファであり、 オメガだ )

 

子供は 性的に成熟しなければ、ただの子供に 過ぎない。

子供が 性的に成熟したら、大人に なる。

性の成熟と ともに、世界全体が それまでとは変わる。

もう同じ世界ではない。

あなたのアプローチ、見方、ものの 捉え方が変わるからだ。

 

女性を意識し始めると、あなたは 一人の男になる。

実際、古い聖書のテキストの中で、「knowledge (理解、知ること)」という言葉は、ヘブライ語では 性的な意味で使われている。

たとえば「彼は彼の妻を二年間 (知らなかった)とか、 彼女は彼女の夫を二年間 (知らなかった)」というように使われている。

それは 二年間 性的な関係が なかったということだ。

「彼は、その日 初めて彼の妻を知った」というように使われている。

それは 初めて、性的関係を 持ったということだ。

 

ヘブライ語の「knowledge (理解、知ること)」は「セックスを知ること」という 意味だった。

だから アダムが林檎を 食べた後、セックスを 意識するようになった というのは 正しい。

セックスは 最も 根本的な ものだ。

セックスなくして 生は あり得ない。

生は セックスゆえに存在し、 セックスと ともに滅びる。

 

ゆえに、ブッダや マハヴィーラは「セックスを越えていかない限り、あなたは何度も 何度も この世に 生まれてくるだろう」と 言った。

あなたは 生を 越えられない。

なぜなら、あなたの内側に 性的欲望があれば、何度も 何度も 生まれることになるからだ。

 

セックスは 誰かほかの者に 生を授けるだけではなく、究極的には、 自分自身にも また、生を 授ける。

 

 

 

(11)終わり(12)へ 続く