saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第16章「二番目の質問」(02)

二番目の質問 (02) ( 意志の道に従う者は、たった ひとつだけ罪を知っている。 その罪とは、精神的な眠気だ。 それに対しては、たくさんの技法がある ) たとえば グルジェフは スーフィーのエクササイズを 使った。 スーフィーたちは それを「止まること (ハ…

第16章「二番目の質問」(01)

二番目の質問 (01) 質問・・・・・・ OSHO、昨夜、あなたは 一つの方法としての、目撃することについて話されました。 別の時に、私は あなたが、自分が関わっているものに完全になること、与えられた状況がどんなものだろうと全面的に関わる、と 話されてい…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(07)

最初の質問(07/終回) 老子は言う 「私は 全一であることができることを 善と言い、全一であることができないことを 悪と言う」と。 部分的で あることは罪だ。 もしあなたが そういう見方をすれば、マインドは 罪になる −−− マインドには 部分的である才能が…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(06)

最初の質問(06) ( 聖者は、まったくマインドを 持っていない −−− この生の ものでも、過去生のものでも。 だから 彼は、すべてにおいて 全一である以外 何もできない ) 彼は 怒ることが できない。 憎むことが できない。 その理由は、怒りのなかでは 全一に…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(05)

最初の質問(05) (…部分的な目撃と全面的な目撃というものはない。 目撃は 全面的だ ) それは 一瞬だけで、どこかへ いってしまうかもしれない。 が、目撃することが そこにあれば、それは全面的だ。 部分的に座ったり、全面的に座ったり できるかね ? 部分的…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(04)

最初の質問(04) (…目撃において何かを 知るだろう。 それが 味わいだ。 考えることとは 違う味わい −−− まったく違う 味わいだ。 だが、 人は それを 実験しなければならない ) 宗教と科学は 二つに別れている。 が、ひとつのことは 似通っていて、強調する点…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(03)

最初の質問(03) (目撃することを通して、あなたは 事実に至る −−− 結論と してではなく、仮定論としてではなく 直接に、即時的な事実として) たとえば、私があなたに 何か言うとする。 あなたは それを考えることができる −−− そうしたら、あなたは 要点を …

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(02)

最初の質問(02) ( 意識は、あなたと ともに誕生している。 思考は 身につけたもの、人為的なものだ ) だから、あなたは ヒンドゥー教徒の思考を持てるし、イスラム教徒の思考や、キリスト教徒の 思考を持てる。 が、キリスト教徒の 魂は持てないし ヒンドゥ…

第16章「意志か、 明け渡しか」最初の質問(01)

最初の質問(01) 質問・・・ OSHO、昨夜 あなたは、マインドには二つのことを同時にはできないとおっしゃいました −−− それは考えることと、目撃することです。 とすると、目撃することは精神の能力であり、マインドの行為であると思えるのですが、そうでしょ…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(21)

(21/終回) ( 中国の道教の伝統に、太極拳として知られる技法がある。 それは センタリングのための方法であり、観照のための方法だ ) それらは、あなたが 何を している時でも へそに意識を集中させたままで いなさいと言う。 歩きながら、意識を へそに集中…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(20)

(20) ( だから グルジェフは決して 「観照」という言葉を 使わなかった。 それよりも、彼は「想起」という言葉を使った ) カビール、ナナク、彼らも また「想起」−−− スラティ −−−という言葉を使った。 スラティとは 思い出すという意味だ。 スラティは スム…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(19)

(19) ( 観る こと、それに向かう努力とは、そのマインドを壊し、そのマインドに 割れ目を作り、そこから のぞき込んで、本性を −−− あなたの本性を探る という意味だ ) あなたは、未知なる 観照のエネルギーとして 生まれた。 それなのに 社会は衣で、 あなた…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(18)

(18) ( 観照する本性、観照する意識とは、達成されなければならないものではない。 あなたは それを すでに持っている。 さもなければ、「それはあなたの本性だ」とは言えない ) 子供が生まれるとする。 もしその子に 言葉を教えなければ、その子は どんな言…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(17)

(17) ( この経文 曰く 『自身の観照の質を確立することが アクシャット −−− 礼拝に使われる研がれていない、割れていない米だ』 このウパニシャッドは 礼拝の あらゆるシンボルに、深い意味を 与えている ) アクシャット −−− 研がれていない米は 礼拝に使われ…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(16)

(16) 古い サンスクリットの文献には、師は死として定義されている −−− アチャリアムリテゥ。 師は、死として 定義されている ! カトゥウパニシャッドの中で、ナチケタはヤマ −−− 死の神のところに 教えを受けるために、遣わされた。 そして、ヤマ −−− 死の…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(15)

(15) ( 観る とは、内側に 行為のない 受け身の気づきだ。 気づき それ自体は 行為ではない ) ある日、ムラ・ナスルディンは 深く考え込み とても心配そうだった。 彼が非常に切迫していて 苦悩のなかにあり、心をどこかに 置き忘れているのを、誰もが 感じ…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(14)

(14) (ブッダは「呼吸は 肉体における生命の根本的なものだ。 そして、呼吸に気づいていることは、内なる中心における生命の 根本のことだ」と言った) 呼吸し、気づいていること。 もしあなたが 自分の呼吸に 意識的であろうとすれば 考えることはできない。…

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(13)

(13) ( 言葉は 人とのコミュニケーションだ。 それは ただのコミュニケーションだ。 それは 役に立つ、が、 危険だ −−− 何か 道具が役に立つ時は 常に、同じ割合で 危険を孕んでいる ) その危険とは 次のようなものだ。 マインドが 言葉の中を 進めば進むほど…