saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(20)

(20)

( だから グルジェフは決して 

観照」という言葉を 使わなかった。

それよりも、彼は「想起」という言葉を使った )

 

カビール、ナナク、彼らも また「想起」−−− スラティ −−−という言葉を使った。

スラティとは 思い出すという意味だ。

スラティは スムリティだ −−− 想起だ。

ナナク、カビールグルジェフ、彼らは「想起」という言葉を使っていた。

 

その唯一の 理由は、あなたの本質は、本当は 達成されるべき 新しいものではない、と 言いたかったからだ。

それは、もうすでに そこにある。

ただ、それを 思い出すだけだ。

もうすでに現存しているものに、ただ 気づくだけだ。

だが、もしあなたが 思考でいっぱいに なっていたら、思考の群れの中に埋まっていたら、気づけないだろう。

 

青空は そこにある −−− だが、雲が、真っ黒い雲が いっぱいに広がっていれば、あなたには空が みえない。

雲がやって来るのは、ただの偶然だ。

それらは 今存在し、以前にはなかった。

そして、それらは再び 存在しないだろう。

それらは やって来ては、去っていく。

そして、青空は いつもそこにある。

その青空が アクシャットだ。

どんな雲も その青空を 汚すことはできない。

青空は清らかで、純粋で、無垢なままだ。

どんな雲も、青空を 汚すことはできない。

雲は やって来ては、去っていく。

が、青空は常住だ −−− かき乱されず、触れられずに。

ただ 内なるスペース、内なる青空が そこにある。

それがあなたの 本性だ。

 

社会は やって来ては、去っていく。

あなたは 生まれ、死んでいく。

数 多く 生まれ、そして死んでいく。

多くの多くの雲が、あなたを通り過ぎていく。

が、内なる空は 汚されることなく、清らかなままだ。

が、 あなたは 雲に 自己同化する。

あなたは「私は雲だ」と 感じ始める。

誰もが、雲にすぎない 自分自身の思考に自己同化する。

そしてあなたは「私の考え」と言う。

もし誰かが、あなたの考えを 攻撃してきたら、自分の 考えが攻撃された とは 決して感じないで、自分が攻撃された と 感じる。 

 

すると、空が戦っていることになる −−− 雲のために戦っている。

というのも、ある雲が攻撃されているからだ。

そして、空は「私は攻撃された」と 感じる。

 

そこに 雲が なかった時、青空が あった。

そこに 雲がなければ、青空があるだろう。 雲は青空に 何も加えない。

そして 雲が もうそこになくても、何も 失なわれない。

それは 完全に、それ自体で あり続ける。

それが 本性だ −−− 内なる 空、内なる スペース。

 

人は、観ることで それを明らかにし、発見する。

観ることは 根本的で、本質的だ。

そして 観ることは、無数の 技法のなかで使われる。

 

中国の道教の伝統に、太極拳として知られる技法がある。

それは センタリングのための方法であり、観照のための方法だ。

 

 

(20)終わり・・・(21/終回)へ 続く