saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(15)

(15)

( 観る とは、内側に 行為のない 受け身の気づきだ。

気づき それ自体は 行為ではない )

 

ある日、ムラ・ナスルディンは 深く考え込み とても心配そうだった。

彼が非常に切迫していて 苦悩のなかにあり、心をどこかに 置き忘れているのを、誰もが 感じ取った。

彼の妻は そんな様子に驚いて、彼に聞いた。

「何をしているの ナスルディン ?

何を考えてるの ? どうかしたの ?

何をそんなに 心配しているの ?」と。

ムラは 目を開けて 言った。

「俺が 今 考え込んでいるのは、究極の問題だ。

俺は、人が死んだ時、どうやって 自分が死んだと 知るのだろう、 ということを考えている。

人は 自分が死んだことを どうやって認知するんだろう ?

もし自分が死んだとして、それを どうやって自分で認識するのだろう ? −−− なぜなら、俺は 死を 知らないんだから」。

 

認識とは、あなたが それについて 以前に何かを知っている ということだ。

「俺は お前に会えば、お前が Aだ、あるいは Bだ、あるいは Cだと わかる。 お前のことを 知っているからだ。

でも、死というものを 俺は知らない」と ムラは言った。

「死がやって来たら、どうやって俺は それを認識すればいい ?

それが 問題なんだよ。

だから、とても不安なんだ。

そして俺が死ぬとき、誰か他の人に聞くことはできない。

それに、扉は もう閉ざされてしまっている。

何か 経典を 紐解くこともできないし、どんな教師も 助けにならない」と。

彼の妻は それを聞いて 笑って言った。

「何を いらないことを心配しているのよ。 死がやって来れば すぐわかるわよ。

死がやって来れば、自分が ただ冷たく、氷のように冷たくなっていくから わかるわよ」

 

ムラは、それを聞いて 救われた感じがした。

ある 一つのサイン、カギが 彼の手に入った。

それから、二、三ヶ月後、彼は 森で木を切っていた。

それは 冬の朝だった。

全てが 凍てついていた。

そして、彼は 自分の手が 冷たいのを 感じた。

その時 突然、彼は思い出した。

そして彼は 言った、「オーケー !  今、死がやって来た。

でも、家から 大分遠く離れているから、誰かに知らせられない。

どうすれば いいんだろう ?

妻に聞いておくの 忘れていた。

彼女は、どうやって死が やって来るのを感じるのか は 言ってくれたけど、でも、死がやって来たら、どうしたらいいのだろう ?

今、ここには 誰もいない。 全てが 凍ってしまう」と。

その時、 彼は 思い出した。

彼は 死んだ人間を たくさん見たことがある。

そこで 彼は 思った、「横になってれば いいんだ」と。

彼が見たことがある、死んだ人間が していることといえば それだけだった。

だから 彼は 横になった。

無論、彼は もっと冷たくなり、寒さを 感じた −−− 

死が 彼に やって来つつある。

そして、彼のロバが 横の木の下で休んでいた。

ムラは 目を開け、その情景を見て こう考えた。

「死人には 何もできない。 もし俺が生きていれば、狼の奴め、お前たちに俺のロバを そんなに自由にはさせんぞ。

でも今、俺は 何もできない。

死人が 何かをした とは聞いた試しがない。

俺は ただ見ていることしかできない」

 

もしあなたが 過去に死ぬなら、完全に死ぬなら、観ている以外はできない。

他に 何ができる ? 

観る とは、過去に、記憶に、全てに死ぬことだ。

それなら、現在という瞬間に 何ができるだろう ? 

あなたは ただ、観ることしかできない。

判断は 不可能だ。

判断は、過去の経験を 背景としてのみ可能だ。

価値付けは 不可能だ。 価値付けは、過去の価値付けを背景としてのみ 可能だ。

考えることは 不可能だ。

考えることが 可能なのは、そこに 過去があり 

現在という瞬間の中に、過去が 持ち込まれた時だけだ。

では、あなたに 何ができる ? −−− 観ることができる。

 

 

(15)終わり(16)へ 続く