saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章 「そのままにしておきなさい」 (第三の質問)

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愛する 和尚、

一度に 一人の 師 (マスター)だけですか。



私には、あなたが困ってしまうのも 理解できるし、うなずける。
私は あまりに多くの師、歩むべき道、扉 のことを語っている。
だから、混乱したとしても当然だ。

だが、 私の言葉に しがみつくから混乱するのであって、しがみつかなければ混乱はしない。
言葉や 説明の仕方が違っていたとしても、私はおなじことを 何度も何度も言い続けているのだ。
どのような道を示すにしろ、どのような説明をするにしろ、私はそれと完全に 一体になっている。
だから それ以外のことは、たとえ 以前話したことであっても 眼中にない。

ハシディズムのことを語っているとき、私は ハシディズムの人だ。
そのとき私は、その中に完全に浸りきっている。
ハシディズムの秘密を明かすには、そうする以外ない。
もし それに浸っていないなら、少しの情熱も持たず、傍観者や教授にすぎないなら、ただ説明するだけなら、伝えようとしていた洞察や ヴィジョンは 伝わらないだろう。
そうすれば、あなたは情報を集めて家に帰るだろう。
あなたは さらに物知りになるが、賢くはならない。

どのような師であれ、道であれ、経典であれ、話しているとき、私はそれに浸りきっている。
絶対的に浸っている。
そのとき、話している以外のものは 一切存在しない。
情熱を燃やしているから、その教えを 心から愛しているからだ。

もちろん、あなたが困るのも わかる。
ハシディズムこそ 歩むべき道だ と私は熱烈に語るが、あなたは 困ってしまう。
なぜなら、かつて私は タントラが 歩むべき道だと 言っていたし、別のときには 禅が、さらに別のときには タオが道だ と言っていたからだ。
はてさて、どれが歩むべき道なのだろう ?


私が ある道のことを話しているとき、私は それだ。
私の言葉にしがみつかず、言葉のないメッセージを聴き取りなさい。
そして、もしそれが あなたの心を打つなら、心の中で歌うなら、あなたは 自分の道を発見したのだ。
そうなったら、かつて私が言ったことも、将来言うであろうことも すべて忘れなさい。
そうなったら、あなたは悩まなくていい。
あなたは 自分の鍵を見つけた。
もう、鍵は開けられる。

私は、これからも語り続ける。
何百万もの人に語りかけているからだ。
鍵を見つけたら、私が何を話しても それを楽しみなさい。
だが、何度も かき乱されてはいけない。
あなたは自分の鍵を見つけた。
これからは、まだ見つけていない 他の人のために話さなくてはならない。
平和、沈黙、至福を 見つけたら、あなたは必要としていたものを 手に入れたのだ。
しかし、手に入れていない人が大勢いる。
私は その人たちのために話す。
そして、あらゆる可能性を 利用する。

例えば、私が ハシディズムの話をする。
それが あなたの心を強く打ち、あなたに この道への愛が 湧き上がるかもしれない。
私の情熱が あなたに火をつけるかもしれない。
だから私は、情熱的に語る。
もし教授たちのように 冷ややかに語れば・・・私は 教授ではない。
ハシディズムの話をしているとき、私は ハシディズムのラビだ。
私が話しているのは 私の道だ。
説明しているのは他人の道ではない。
自分で旅をし、愛し、知り、味わった 私の道だ。
私は 自分自身の体験を 語っている。
そして、それがあなたを打ち 、あなたの心の中で 何かが カチッと鳴れば、祈りが あなたの道となる。

そうなったら、私の言うことは すべて忘れなさい。
何度も 考える必要はない。

もし そうならなかったら、考えなくてはならない。
だが、それでも気に病むことはない、すべて忘れなさい。
私は別の話をする、別の扉を開ける。
多分、それがあなたの 扉になるだろう。
扉を見つけたら、私が開けようとしている他の扉のことを 気にしてはいけない。
すべての扉は 同じものへ導くからだ。
和尚は もっと大きな金の扉を開けるかもしれない、その扉から入るべきだ ーー などと思い悩んでは いけない。
どれも皆 同じだ。

あなたの愛する扉が あなたの金の扉。
この扉を愛したら 他に扉はない。

他の人たちが 別の扉から入っていくのを見るだろう。
だが、存在の中核に達したとき、あなたはそこで、とてつもない愛と友情を感じながら 皆と出会うだろう。
ハシディズムの人、禅僧、スーフィーチベットラマ僧もいれば、静かに座って そこまでやって来た人、踊ってやって来た人もいるだろう。
深い友情の中で すべての探求者は出会う。


それがとても難しいのは知っている。
二人の師を求めだせば葛藤が起こる。
けっして二人の師を求めないこと。
一人で充分、 充分すぎるほどだ。


ムラ・ナスルディンは、死の間際に 息子をそばに呼んで言った、「いいか、一つ お前に言っておきたいことがある。
お前が 言うことを聞かないのは 知っているがな。
俺も、親父が死ぬとき、親父から言われたことを聞き入れなかった。
親父は言った、『ナスルディン、あまり女を追いかけてはいかんぞ』と。
だが、誘惑が強すぎて俺は 我慢できなかった。
だから、次から次へと 女と関係していった」。

ムラは、コーランが許す上限である 九人の女性と結婚した。

さらに ムラは言った、「地獄になっちまった。 ひどい苦しみだった。
お前が 聞く耳を持っちゃいないのは知っているが、それでも俺は言う。
俺はもう逝ってしまうし、話す機会がなくなるからな。
お前は 女と恋をするだろう。 だが、一つ これだけは覚えておけ。
親の遺言だ。
『一度に 一人、一度に一人だ。 せめてそれだけは守るんだぞ』」。


一度に一人だ。
一度に 二人の女性を愛したとすれば、それは どういうことだろうか。
分裂した人格の持ち主ということだ。
精神分裂症、あなたは一人ではない、二人だ。
一度に 三人の女性を愛したら、あなたは 三人だ。
また、どんな女性にでも、会えば恋をしてしまう人々がいる。
誰が通りすぎても、突然 好きになる。
すべての女性が 恋の対象だ。
その人たちは 群衆だ。

同時に何人に恋をするかで、自分の中に住んでいる人の数が数えられる。
それは、自分の中に何人住んでいるかを数える非常にすばらしい方法、非常に手軽な目安だ。

だが、一人の女性に恋をすると、あなたは まとまり 調和していく。
あなたは 全体になる。
葛藤がないので 正気になる。

聞いた話だが ーー。
花嫁と花婿が ホテルのエレベーターに乗り込んだ。
すると かわいいエレベーターガールが、花婿に向かって、「ハーイ、 ダーリン」と言った。
カップルが目的の階で 降りるまで、他に言葉は交わさなかった。
エレベーターを降りたとき、花嫁が叫んだ、「誰なの ? あの女」

とても気まずそうに花婿は言った、「何も聞かないで。
明日、あの娘に君のことを説明しなきゃならなくて、大変なんだから 」


二人の女性を愛することさえ 危険だというのに ーー 二人の師を愛することは、その百万倍も危険だ。
なぜなら、女性への愛が肉体的なものならば、その分裂も肉体的なものに限られるだろう、あるいは せいぜいマインドの愛だろうから、マインドの分裂に留まる。
ところが、師への愛は 魂の愛だ。
二人の師を愛すれば 魂は分裂し、完全に統一性を失うだろう。
あなたは ばらばらになり、まとまっていられなくなる。
あなたは 姿、形、まとまりを すっかり失う。

統合を達成するためにこそ、師のもとにいるのだ。

いったん、一人の師を 愛したら、その師のもとに留まりなさい。
その人に幻滅しても 留まれ と言っているのではない。

幻滅したら、もうその人は あなたの師ではない。
そのときには、そこにいても仕方がない。
別の師を探しなさい。

だが、けっして心の中に 同時に二人の師を 置いてはならない。
どちらか はっきりさせなくてはならない。

これは、普通の決断ではなく、極めて重大な決断だからだ。
それは あなたの全存在、その質、未来を決定づける。



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