saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(03)

(03)

( 知る ことは 流れを意味する −−− 川のような存在。

あなたは知っているが、知識としてではない )

 

なにか 片づいてしまったもの、完結したもの、あなたの 手の中で死んでいるもの と してではない。

あなたは 一種の オープニングとして知っている −−− 

常に、より偉大なる ものに対し開いている、絶えず 海に対し開いているもの、絶えず超越したものに 開いているものとして知っているのだ。

知ること は、常なるオープニングだ。

そして 知識は 閉ざされた現象だ。

 

だから、知識は死んでいる と 感じた人たちは、その体験を「神」とは 言わなかった。

彼らは 名前を つけなかった。

どんな名前も 知識 を 意味するからだ。

 

ある 一つの体験に 名前を付けた時、それは あなたが それを完全に、余すところなく知った という意味だ。

そうなれば、あなたは 円で囲むことができる。

そうなったら、一つの言葉を 与えられる。

言葉は 一種の限定だ。

だからインドの英知は、彼は “それ” だ と言う。

 “それ” とは 言葉ではない −−− 一種の 示唆だ。

 

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは どこかで、

「言葉に表せなくても 示すことができる、あるものが 存在する」と言っている。

あなたは 言葉に表すことはできない。

が、示すことは できる、示唆することは できる。

この言葉 “それ” は、一種の 示唆だ。

越えたるものを、ただ示唆している。

それは 言葉を与えない。

否定するものを 与えない。

それは、あなたが知っていることは示さない −−− あなたが 感じたことを 示している。

知識には 一種の限界が あるが、感覚に限界はない。

我々が “それ” と 言う時、それ以上に 多くを語っている。

一つには、遠く 離れている ということ。

 “これ” はここ、近くにあることを 意味している。

我々は それを知っている。

それは 我々の知る範囲にある。

 “それ” とは、遠く離れている という意味だ −−− 大変 遠く 離れている。

一つの意味では “それ” は遠く離れて ある。

もう一つの意味では、近すぎるほど 近くに ある −−− 

が、それは あなたが どこからスタートするかによる。

 

我々は ここに座っている。

一番近い地点は、ちょうど あなたが座っているところ だ。

その場所と比べれば、全ての地点が 

あなたから 離れている。

だが、その場所から 出かけ、世界中を旅すれば 

自分自身が座っていた場所に 戻って来れる −−− 

そうなると、あなたが 今 座っている地点とは 最も距離が 離れている地点 ということになる。

というように、距離は どこからスタートするかによる。

 

こんな話を 聞いたことがある。

ムラ・ナスルディンが、なにげなく 

ただ 村の はずれに 座っていた。

すると だれか見知らぬ人が、ナスルディンが住んでいる 村への道まで、どれぐらい距離が あるのか尋ねてきた。

そこでムラは「お前さん 次第だよ」と 答えた。

その見知らぬ人は、ムラの言葉が 理解できなかった。

そこで 彼は

「『お前さん次第だ』とは、どういうことかね ? 」と 言った。

そこでムラは 言った

「もしお前さんが 今来た道を そのまま行けば、もし 来た方向のまま 行けば、村までは すごく遠い。

地球を ぐるっと 一周しなきゃならん。

お前さんは、村を ちょうど過ぎた場所にいるからさ」と。

「でも、お前さんが戻れるんなら、百八十度転換する用意があるんなら、村までは 一番近い ということさ」

 

というように、距離は 我々が どこにいるかに よる −−− 

我々がいる まさにその地点、我々が ちょうど今ある意識の、まさに その地点次第だ。

 

もし我々が その要点を 見たら、その要点を 貫くことができたら、 “これ” は 遠く離れたものになり、“それ” は 最も近いものになる。

 

だが もし、自分達が 存在している中心、我々が 目と感覚で追っている 中心が 見えなければ、“これ” は 近くにあり、“それ” は 一番 遠くなる。

 

それは 我々次第だ。

だが、両方の意味で “それ” は “これ” を 超えている。

 

もし あなたが 内側に入っていけば、もし あなたが 自己の実存の中心に 到達すれば、再び、あなたは あなたを取り巻いている “これ” を 超越する。

そして “それ” は 達成される。

あるいは、もしあなたが 外側へ行けば、非常に長い旅、果てしない旅を せざるを得ないだろう。

そして、その旅の終わりに 初めて “それ” に 触れることができる。

だから、科学は長い旅、ひどく長い旅だ。

 

 

(03終わり(04)へ 続く