saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第13章「在ることを通して越えていく」(02)

(02)

( だが、神は 決して所有されないものだ。

真理は 決して所有されない −−− )

 

それは絶対に あなたの手の内にはない。

それは、一つの記憶になるような ものではない。

それは、あなたが 片づけてしまえる ものではない。

それは 定義できる ものではない。

あなたが その物事を 完全に知った時 

初めて その物事を 定義できる。

その物事を定義でき、信じることができる。

その後、「これは こうだ」と 言えるのだ。

が、神は 定義できないままだ。

 

「私は 知った」と あなたが言えるときは 決してやった来ない。

 

神は、そういう意味では 一つの体験には 決してならない。

それは 一種の爆発であり、体験 ではない。

それは 一種の 知ること であり、決して 知識には ならない。

その 違いを 覚えておきなさい。

知ること は、成長しつつある現象だ。

それは 成長し続ける。

知識 は 生きているものではなく、止まっている現象だ。

 

あなたが「私は 知っている」 と 言うとき 

あなたは 止まっている。

もう そこに 成長はない。

もう 流れは ない、もう未知の次元は 存在しない。

もう、あなたは 川のように 生きている体験ではない。

 

知る ことは 流れを意味する −−− 川のような存在。

あなたは 知っているが、知識 と してではない。

 

 

 

(02)終わり(03)へ 続く