saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (04)


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(…だが現在、彼らは 発見した。

光が旅をするための媒体は 何も 存在しない と。

宇宙全体が ただの広大なる空間であり

光は 無の中を 旅する )

 

無でさえも、光は破壊できない。

虚空でさえ 光に影響を与えられない。

非実在でさえ、光の存在に 影響を与えることはできない。

そして、光は いかなる媒体もなく

いかなる乗り物もなく 距離間を移動できる。

 

それは、光とは、どこか他から 引き出されたものではない、という意味だ。

光 それ自身がエネルギーだ。

もしあなたのエネルギーが、どこか外から引き出されたものなら、あなたは媒体を通して、乗り物を通して 移動しなければならない。

自力で 進むことは できない。

だが、光は それ自身で 進むことができる。

 

五番目に、光とは 押されるものでもなければ

引かれるもの でもない。

光は、ただ単純に距離間を 移動する ! 

 

私が 一つの石を 投げるとする。

その時に「押す」という 力が働く。

私は私の エネルギーを その石に与えた。

その石は 私に与えられた力の分、その範囲でしか 進むことができない。

私のエネルギーが なくなってしまえば、あるいは 尽きてしまえば、その石は落ちてしまう。

石は それ自体のエネルギーで 進んでいるのではない。

あるエネルギーが 石に与えられている。

その力は 外側からのものだ。

 

この世の全てが、その内に外からのエネルギーを有している −−− 光を除いて。

全てが、どこか よそから引き出されたエネルギーとともに動いている。

樹は 大きくなっていくが 

そのエネルギーは  引き出されているものだ。

花が 咲いている。

だが、そのエネルギーは 引き出されたものだ。

あなたには 自分自身のエネルギーはない。

光以外に、それ自身でエネルギーを有しているものは  存在しない。

 

それに関連して、コーランマホメットの言葉は、とても意味深い。 彼は「神は光だ」と 言った。

彼は、神だけが自身のエネルギーを 有している、と言った。

ほかの全ては、ただ外からエネルギーを 

引き出しているだけだ。

実際、我々は 借物の生を 生きている。

我々の生は 多くの、多くの源からの 借物だ。

だから、我々の生は 制約されている。

 

もし ある一つの源が、我々にエネルギーを与えることを 拒んだら、我々は 死んでしまう。

が、光はそれ自身のエネルギーとともに 生きている −−− 

どこからも エネルギーを 借りずに 

自分自身から発するエネルギーで。

光は 押されも 引かれもせず、動く。

それは、この上なく 最も 神秘的なことだ。

 

六番目。

もし光だけが それ自身のエネルギーを 有しているとすれば、ほかの全ては エネルギーを借りて生きていることになる。

確かに、どこかしらから 借りているに違いない。

突き詰めると、そのエネルギーは 光から借りて来ている −−− 光を除いて、全ての存在が エネルギーを借りて 生きているからだ。

そうなると最終的には、光が そのエネルギーの提供者になる。

 

あなたがどこから自分のエネルギーを得ようと 

突き詰めると、その源は 光であるに違いない。

あなたは 食物を食べ、エネルギーを摂る。

が、食物それ自体は 光を通して 

太陽光線を通して、エネルギーを 得ている。

だから、あなたは そのエネルギーを 

食物から獲ているのではない。

食物は それ自体の エネルギーの源を持たない。

食物は、どこか よそからエネルギーを引き出している。

食物はは ただ、その間を取り次ぐ働き、媒体の働きをしているにすぎない。

なぜなら、あなたは光を直接 吸収できないからだ。

 

 

(04)終わり…(05)へ 続く