saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

The Art of Dying 第五章 「所有と実存」(09)

f:id:saleem:20220305173156j:plain

それから ある日、その人の息子が 私のところにやって来て、「父がひどい病気になりました。
どうも心臓発作のようです。
父はあなたのことを思い出しています」と言った。
それで私は、父親のところへ駆けつけた。
彼は ベッドに横たわりながら、「ラム、ラム、ラム」と 繰り返していた。
私は彼の 頭をゆすり、こう言った、「何をしているのです ?
生涯、瞑想はしない と言っていたのに、ラム、ラム、ラムと繰り返して何をしているのですか」。
彼は言った、「こんなときに邪魔をしないでください。
死がドアのところにいます。
私は死ぬのです。 わかるはずもないことですが、おそらく神は いるでしょう。
そして おそらく、神の名を 忘れずにいれば 神は許してくださる、と いつも言っていた人々は正しいでしょう。
議論や口論をしている暇はありません。
唱えさせてください」。

四十年間、ひとことのマントラも唱えなかったのに、突然 今、四十年の知識が捨てられた。
死を目の前にするという危うい状況のもとでは、知識など役に立たない。
その人は クリシュナムルティのことを完全に忘れ、普通のヒンドゥー教徒に戻ってしまった。
普通の村人であるヒンドゥー教徒が、ラム、ラム、ラムと繰り返すのは構わない、許される。
だがこの人は どうだろうか。
マントラや瞑想や 経典が捨てられるようにと 本を書き、国中で講義をし、多くの人々の力になってきたのだ。
ところが、今になって 突然マントラを繰り返している。

心臓発作にも関わらず 生き長らえ、二、 三ヶ月後 私に会いに来た。
再び、自分の知識に 戻っていた。
私は言った、「もう、愚かさから抜け出しなさい。
死は またやって来る、あなたは ラム、ラム、ラムと繰り返すだろう。
そうならないために、大切なことは何だろう ?」


あるとても金持ちの老人が、独身を守っていた。
もうすぐ 七十五歳になるところだった。
すると、にわかに結婚している友人が、「この楽しみを逃してはいけない」と言って、老人に 結婚することを承知させた。

そこで老人は結婚することにした。
大金持ちなので、すぐに美しい女性が見つかった。
そして、新婚旅行に出かけた。

老人は、結婚している友人と その妻を、この新しい探検の案内人として同行させた。
翌朝、彼らはモーテルで会い 食事をともにした。
友人は、老人にセックスについての事細かな知識、愛し方、して良いことと 悪いことを教えていた。
「昨夜は、格別でしたよ。
二人でベッドに行ったのですが、妻も私も 強く求めて、すてきな愛の夜を過ごせました。
あなたの方は どうでしたか」と 結婚している男が言った。
金持ちの老人は言った、
「ひどいもんだ ! 教えてもらったことを きれいさっぱり 忘れちまったよ !」


生涯 独身を通してきたそのあとで、人に導かれ、知識を与えられ 記憶したとしても、その知識は実存に触れない。
頭の上を漂っているだけで、あなたには 触れない。

老人は言った、「ひどいもんだ ! 教えてもらったことをすっかり忘れちまったよ !」。
七十五年の孤独な眠りからは、機械的な習慣しか生まれない。

知識を蓄え続ければ 習慣が生まれる。
得られるのは習慣、もっと蓄えようとする 非常に危険な習慣だけで、本当の知識は 何一つ得られない。
仏陀や イエスに会ったとしても、あなたは 取り逃がす。
そのときにも 蓄えようとするからだ。
心の中で メモを取っているだろう ーー「そうだ、これは正しい。 覚えておく価値がある」。
蓄えは どんどん大きくなるが、あなたは 命のない博物館、死物を集めた博物館に過ぎないものになるだろう。

この「知識の所有」に 関われば関わるほど、その場にあるはずの 本当の知識を得る可能性が小さくなる。
実存によって、実存を知ることによって生まれる 知識を手にし損ねる。

覚えておきなさい、マインドというのは、あなたが これまで集めてきたものに他ならない。
それはあなたが 実存の内部に 所有しているものの総体だ。
マインドを超えたもの、所有を超えたものが 真の実存だ。
あなたは 外に物を、内に 思考を集めてきた。
だが、 両方とも 所有の次元に属している。

もはや物に執着しなくなったとき、思考に執着しなくなったとき、突然、開けた空が、実存の開けた空が現れる。
そして、それこそが 持つ価値のある、本当に持ち得る唯一のものだ。



(09)終わり・・・(10)へ 続く