saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 「ボーディサットヴァフッド」(最初の質問) (04)

(…知っているだろうか
至福が あまり強烈になると、それは苦痛になる
光が あまり強烈になると、それは まぶしすぎて、あなたは 盲に なりそうになる
愛が 過剰であるとき、あなたは それに 耐えられない
喜びが 過剰であるとき、あなたの心臓は 止まりかねない
それは 大きな 苦痛になりかねない )


そして あなたは 何も知らないーーー
ボーディサットヴァフッドが 起こるとき
その喜び、その大きさは あまりにも大きく
その至福、その強烈さは あまりにも大きく
あなたは そのために 死ぬか狂うかしかねない


仏教は ボーディサットヴァたちが 発狂しないことで知られている 世界で唯一の伝統だ
なぜか ?

スーフィ教では 彼らは発狂する
ヒンドゥー教では 彼らは発狂する
彼らの多くが 発狂する
スーフィたちは 彼らのために 特別な名前をもっている
マスタス mastas ーーー

しかし仏陀の伝統のなかには そのようなものは ない
なぜか ?

仏陀は その あらゆる可能性をよく知り、きわめて科学的に 道を用意している
だから彼は、起こるはずの その瞬間のために、指示、方向づけ、示唆を 与えつづける


各時代を通じて
この 二十五世紀間、仏教の聖者は ひとりも発狂しなかったことが知られている
それは まれなことだ

スーフィ教では 多くが発狂している
ヒンドゥー教でも 多くが発狂している
その理由は
スーフィや ヒンドゥーは ボーディサットヴァフッドに匹敵するものを 持たないからだ
どんな教えも 与えられていないからだ

西洋では 問題はさらに 込み入っている
キリスト教には それについての観念は まったくない
だから キリスト教では
いかなる意味でも聖者ではない凡人たちが 聖者として崇拝され
聖者である人たちが 気違いだと 宣告され
あるいは 悪魔にとり憑かれた と 宣告されるということが 起こってきた


西洋の 多くの精神病院で
ほんとうは狂っていないのに ボーディサットヴァフッドの故に発狂した人々がいる

彼らは 精神医学の治療を 必要としていない
彼らは 電気ショックを 必要としていない
彼らは 精神安定剤を 必要としていない
彼らは 不必要な拷問を 必要としていない
彼らは 精神分析を 必要としていない

彼らに必要なのは 彼らを包んでくれる慈悲深い ブッダだけだ
ブッダの 臨在ーーー必要なのは ただそれだけだ

ブッダの臨在だけが 彼らを 連れ戻す

ブッダの臨在が 大いなる引力、磁力となって、彼らを 本来の意識へ 連れ戻す

しかし、彼らは拷問を受けている
不必要な扱いを 受けている
なぜなら 一度 狂っていると思うと、あなたは彼らを 気違い扱いしはじめるからだ


仏教は 世界で最も科学的な 宗教のひとつだ
それは 意識の成長に必要な地図を すべて持っている

そしてボーディサットヴァフッドは きわめて本質的だ
ブッダになる前に、人は かならずボーディサットヴァフッドを 通過しなければならない

しかし、ソメンドラ、それはナンセンス nonsense だ
まさに そのとおりだ



(最初の質問)終わり・・・第二の質問 (01)ヘ 続く