saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 「 (第二の質問) 」 (01)

第二の質問
「どういうところから、ほかの人への 思いやりが 干渉になるのでしょう ?」



観念が 入った瞬間
思いやりは 干渉になる

愛は 苦(にが)さに 変わり、一種の 憎しみに 近くなる

そして あなたの保護が 牢獄になる

観念が そのちがいを つくる


たとえば あなたが母親なら、子供の 面倒をみなさい
彼は あなたを 必要としている
彼は あなた無しでは 生き延びることはできない

あなたは 無くてはならないものだ

彼は 食物を 必要とする
彼は 愛を、世話を 必要とする

しかしあなたの観念は 必要ではない
あなたの 理想は 必要ではない

彼は、あなたのキリスト教ヒンドゥー教イスラム教、仏教は 必要としない
彼は あなたの聖典は 必要としない
彼は あなたの信仰は 必要としない

彼は 彼が どうあるべきか というあなたの理想は 必要としない
観念、理想、目標、目的を ちょっと避けることだ

そうすれば 面倒をみることは 美しく、純真だ

さもなければ面倒をみることは ずる賢い


あなたの世話のなかに どんな観念もないときには
あなたは 自分の子供を クリスチャンにしようとは 思わない

あなたは子供を 共産主義者ファシスト、あれやこれやに しようとは思わない
あなたは子供を ビジネスマンや 医者や エンジニアに なってほしいとは 思わない
あなたは 子供に対して どんな考えも もっていない

あなたは 言う
「私は 愛そう
そして、おまえが おとなになったとき、選ぶがいい
おまえが自然に そうなるものになら 何にでも おなり
私は 祝福しよう
おまえが 何であれ、私は 祝福しよう」

「そして 何に なろうと、私の側からは おまえは受けいれられ、歓迎されている
おまえが 国の大統領に なった時だけ 愛するわけではない
もし ただの大工になったら 愛さない
おまえのことを 恥ずかしく思う などということは ない
おまえが 大学から金賞を もらった時だけ 歓迎して
失敗したら 恥ずかしい ということではない
おまえが いい子で、美徳や道徳、あれやこれやが ある時だけ 私の子供で
そうでなければ 私は おまえと無縁で おまえも私と無縁だ ということではない」


何かの観念を 持ち込んだ瞬間、あなたは 関係のなかに 毒を持ち込む

面倒を みることは 美しい

しかし、それに 観念が入ると、それは 狡猾さになる

そうなったら、それは 取引になる
そうなったら、それは 条件をもつ


そして、私たちの「愛」は みな ずる賢い
だから この世は これほど不幸で、これほど 地獄なのだ

そこに 思いやりがない というのではない

思いやりや 気づかいは ある

だが、それは あまりにも狡猾さを 伴っている

母親は 気をつかう
父親は 気をつかう
夫は 気をつかう
妻は 気をつかう
そして兄弟も姉妹も、みんなが 気をつかっている

私は、誰も 気をつかっていない と 言っているのではない
みんな 気をつかいすぎているくらいだ
が、 それでもなお この世は 地獄だ


何かが まちがっている
何かが 根本的に まちがっている
その根本的なまちがいとは 何だろう ?

どこで物事がまちがっているのだろう ?

思いやりのなかに さまざまな条件が 入っている
「これをしなさい・・・ あれに なりなさい・・・」

あなたは 無条件に誰かを 愛したことがあるだろうか ?

あなたは 誰かを あるがままに 愛したことが あるだろうか ?




(01)終わり・・・(02)ヘ 続く