もしあなたが,よろこんで折れることができたなら
それは〈明け渡し surrender 〉になる
そうしたら,それはもう負けじゃない
それはひとつの勝利だ
あなたは神の側についてこそ勝利できる
けっして,神に対立してはできない
そして,覚えておきなさい
神はあなたを負かそうとなどしてはいない
あなたの敗北は自己発生的なものなのだ
あなたが負けるのは,あなたが戦うからにほかならない
もし負けたかったら,戦うがいい
もし勝ちたかったら,明け渡しなさい
これはパラドックスだ
折れる用意のできた者が勝者になる ーー
敗者だけが このゲームの勝者なのだ
勝とうとしてごらん
そしたら,あなたの負けは絶対に確実だ
それはただ,いつかという時間の問題にすぎない
だが,それは確実だ
それは起こらずには済まない
それは神聖(holy) だ
あなたが〈全体 whole 〉とひとつだから ーー
あなたはそれと一緒に脈打つ
あなたはそれと一緒に踊る
あなたはそれと一緒に歌う
あなたは風に舞う木の葉のようなものだ
木の葉は ただただ風とともに踊る
自分の意志など持ってはいない
この 無意志性こそ,私がサンニャースと呼ぶものなのだ
この経文が 聖なるもの と呼ぶものなのだ
“ 聖なるもの(holy)” のサンスクリット語はバガヴァティ(bhaga−vati)だ
この方が “holy” よりもさらに深く理解されるべき重要な言葉だ
というのも,“ 聖なる (holy) ” には
何かしらキリスト教の匂いがまとわりついているからだ
バガヴァティ (bhagavati) ーー
バガヴァティはバガヴァン (bhagavan) の女性形だ
まず第一に,この経文はバガヴァンという言葉を使わない
その代わりに,女性形のバガヴァティを使う
なぜならば,一切の源は〈女性〉だからだ
〈男性〉じゃない
それは陰であって,陽ではない
それは〈母〉だ
〈父〉じゃない
(11)へ続く