saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第1話ーーー七段の梯子 (09)

この私を見てごらん
私は自分がここにいるとは言えない
なぜならば,私は そ こ にもいるからだ
そして,私は自分がインドにいるとも言えない
なぜならば私は中国にもいるからだ
さらには,私は自分がこの惑星の上にいるとも言えない
なぜならそれは違うからだ
自我(エゴ)が消え失せたとき
あなたは ただただ〈全体 whole〉と ひとつなのだ
あなたは どこにもいて
しかも,どこにもいない
あなたは 分離した実体としては存在しない
あなた溶けてしまうのだ


ごらん !
朝,美しい木の葉の上に
朝日を浴びた露のしずくが光っている
まったくもってすばらしい
それから,それはすべり出す
そして,最後には大海にまですべり込んでゆく
それが木の葉の上にあったとき
そこには,時間と空間があった
それは限定されていた
それ自身の個性を持っていた
それが,一度 大海に落ちてしまったら
どこに行ったかもわからない
それが存在しなくなったからではない
そうじゃない
いまや,それはどこにもあるのだ
それがどこにも見つからないのはそのためなのだ
そのありかは定められない
海全体がそのありかになっているからだ
もう,それは別々には存在していない


あなたが〈全体〉と 別々に存在しなくなったとき
そこに,プラジュニャーパーラミターが現われる
完全なる知恵
彼方(かなた)からの知恵 ーー


“麗しく, また聖なる
知恵の完成者に礼したてまつる”

ビューティフルな挑発だ
それはこう言っている
「私は彼方(かなた)へと踏み入ったときに来る知恵に対して敬意を表します」と
そして,それは麗しきものであり
それは聖なるものでもある
神聖であるのは,あなたが〈全体〉とひとつになるからであり
麗しいのは
あなたの生にあらゆる種類の醜さをつくり出していた自我(エゴ) がもうないからだ


サッティヤム (satyam)
シヴァム (shivam)
スンデラム (sunderam) ーー
それは真である
それは善である
それは美である ーー
それが 三つの特性だ


“知恵の完成者に礼したてまつる”
〈真実〉 ーー
それが真実の何たるかだ
知恵の完成 ーー
麗しきもの,美しいもの
聖なるもの,善なるもの ーー


なぜそれが聖なるものと呼ばれるのか ?
それは,ブッダたちがそこから生まれ出るからだ
それはブッダたちの母胎なのだ
あなたは,この知恵の完成にあずかったその瞬間
ひとりのブッダとなる

あなたは,露のしずくが大海に消え失せたとき
分離をなくしたとき
もうそれ以上〈全体〉と争うのをやめたとき
自分を明け渡し,〈全体〉と一緒になり
もうそれ以上それに対立しなくなったとき
ひとりのブッダとなる
それがゆえに,私は強調してやまない
自然と一緒になりなさい
けっしてそれに対峙しないこと
けっしてそれに打ち勝とうとしないこと
けっしてそれを征服しようとしないこと
けっしてそれを負かそうとしないこと
もし,それを負かそうなどとしようものなら
あなたは破綻の定めにある
なぜならば,部分が 全体を負かすことはできないのだから ーー
それを,誰もがそうしようとがんばっている
それだから,これほどひどい欲求不満になるのだ
誰もかれも敗者だから ーー

誰もが〈全体〉を征服しようとがんばっている
〈川〉を押し進めようとがんばっている
当然,あなたは ある日 疲れてしまう
へとへとになってしまう
あなたはごく限られたエネルギー源しか持っていない
〈川〉は広大だ
ある日,それは あなたを圧倒する
だが,あなたときたら欲求不満になりながら しぶしぶ折れる


もしあなたが,よろこんで折れることができたなら
それは〈明け渡し surrender 〉になる
そうしたら,それはもう負けじゃない



(10)へ続く