saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「落ちるのは熟れた果実だけ……」02

「02」

(…他を通して知るときには

それは ただの記憶であって知識ではない。

   ーー 記憶というのは 死んでいる ーー )

 

あなたがたが 多くのものを 寄せ集めるときには……

知識の富、教典の富が まわり中に 集められ

あなたの頭(マインド)は

  濃  縮  図  書  館  だ 。

と  そのうちに あなたは

自分は ほかの人たちの重荷を 運び歩いているだけだ

何ひとつ自分に属しているものはない

自分が  知  っ  た  わけではない と 気づいてくる。

そうなったら、あなたは それを落とすことができる

そういった知識のすべてを 落とすことができるのだ。

その落とすことの中で

新しいタイプの無知が あなたの内側に 生じてくる。

 こ  の  無  知  は 、 無  知  な  人  々  の  無  知  で  は  な  い 。

ふむ?

これは 賢者の在り方だ、 知恵の在り方だ ーー 

賢い人だけが、私は知らない と 言うことができる。

そして

私は知らない と言うことの奥底で

彼は知識を 切望しているわけではない。

彼は単純に 事実を述べているだけだ。

あなたがたが 心(ハート)をこめて “ 私は知らない ” と 言えるとき

まさに その瞬間

あなたがたの眼はひらかれる

知  る  こ  と  の扉が ひらかれる !  

あなたが 自分の 全一性(トータリティ)をもって こう言える瞬間

私は知らない ーー と

あなたは知識に対して有能になったのだ。

 

  この無知は 美しい。

が、この無知は知識を通して 達成されるもの

それは 豊かさを通して達成される 貧しさだ。

  そして

同じことが 自我(エゴ)についても 起こる。

もし持っていたら 失うことができる ーー 

 

  仏陀玉座を降りて 一介の乞食になったとき……

いったい仏陀にとって その必要性は 何だったのだろう ?  

彼は 王として君臨していた

その自我(エゴ)の ピークに在った……

が、この極端な動きは なぜだろう ?  

宮殿から 街路に降りて 乞食になるとは ?  

仏陀の その物乞いの内には 美しさがあった。

大地は かくも美しい乞食を 知ったことはなかった !  

かくも 豊かな乞食

王者のような乞食

このような帝王 ーー 

  玉座から 降りてきたときの彼には いったい何が 起こったのだろうか ?  

彼は 自分の自我(エゴ)から 降りてきたのだ

王位とは シンボル以外の何ものでもない。

自我(エゴ)の シンボル

権力の、威信の、地位の シンボル……

彼は そこから 降りてきた ーー 

そして  無  我  が  起  こ  っ  た 。

この無我、自我(エゴ)の無い状態は 謙虚とは ちがう。

この無我は 卑下とは ちがう。

謙虚な人々は たくさんいるかもしれないが、彼らの その へりくだりの下には 微妙な自我(エゴ)が はたらいている。

 

  伝えられるところによれば、或るとき

ディオゲネスソクラテスを 訪れたという。

ディオゲネスは乞食のように暮らしていた。

いつも穴だらけ、つぎはぎだらけの汚い衣を身にまとっていた。

 

 

「02」おわり…「03」へつづく

 

 

『マイ ウエイ』⚪流れ行く白雲の道

バグワン・シュリ・ラジニーシ

🔘質疑応答集

話者   バグワン・シュリ・ラジニーシ

翻訳   マ・アナンド・ナルタン

発行者   スワミ・アナンド・シャンタン

発行   RPJ

発売   株式会社 めるくまーる社