「03」
導師(グル)と弟子のあいだの関係は 非常に複雑な現象だ。
或る意味では 非常に単純だが
見方を変えれば 非常に複雑なものだ。
単純だ というのは
この関係は 弟子の側でしか 存在しないものだからだ。
師(マスター)の側には 関係などというものは 存在しない。
なぜなら 師 は 存 在 し て い な い か ら だ。
彼は もはや い な い 存在
彼は 誰 で も な い 人 ーー
一見 在るように 見えはする
あなたが 自らを明け渡さないかぎり そのように 見えつづけるだろう。
ひとたび あなたが 自分を明け渡(サレンダー)したら
ひとたび あなたが 非 存 在 (non-being) と なったら
突如として あなたは
師という存在など なかったことがわかる。
師(マスター)とは 一つの 不 在 ーー
しかし その不在がわかるのは あなた自身もまた 一つの不在と なったときだけだ。
二つの 不在だけが 出会うことができる。
もし あなた が そこにいたら
あなたは師も また い る と 投映しつづける。
それは あ な た の 側からの 投映だ。
というのは、 あなたの自我(エゴ)には 無我は 見えないからだ。
同類どうしだけが 対応することができる。
あなたの自我(エゴ)は 他の自我(エゴ)なら あらゆるところで 見出すことができる。
それが 自分を護る方法に なっている。
自分の見まわすところ どこでも、即座にあなたがたは 自我(エゴ)を投映する。
だから 師(マスター)でさえ 誰 か で あるかのように、一つの自我(エゴ)であるかのように 見える。
そしてあなたがたは、あらゆる方法手段を駆使して 師もまた 一人の自我(エゴ)であることを 自分に 証明しようとする。
その理屈づけは 完璧に論理的であるかもしれないが、私は 馬鹿げているものだと 言いたい。
なぜなら あなたがたには 無我の現象を 見ることはできないからだ。
今在る あなたのまま……
そのまま明け渡(サレンダー)してしまったら
突然 あなたは師(マスター)など いないことがわかる ーー !
もしあなたが この今の瞬間 降伏して明け渡したら
あなたはこの椅子が 空っぽなのが わかるだろう。
あなたがたに 話している この者は い な い 。
ここにあるのは たんなる虚空だ。
だが
自らが不在になってこそ はじめて
あなたがたは この 不 在 を 見ることができるだろう。
関係は 師(マスター)の側には 存在しえないもの。
もし存在するとしたら、その導師(マスター)は 導師(マスター)などでは まったくない。
彼には あなたの道案内は できない。
彼はあなたを 道に迷わせるだけ。
その 教えは 美しいかもしれない、が
彼には 誤った道案内しか できない。
なぜなら彼のすることは それが何であれ
ーー私は 無条件に そ れ が 何 で あ れ と言うーー
まちがっていることになるからだ。
それは、このことは まちがっているが、あれは正しい というような問題ではない。
自我(エゴ)から出てくるものは 何 で あ れ まちがっている !
それは 美徳かもしれない
それは 非暴力かもしれない
それは 愛かもしれない。
しかし
自我から 出てくるものは 何であれ まちがっている。
「03」おわり…「04」へ つづく
『マイ ウエイ』⚪流れ行く白雲の道
バグワン・シュリ・ラジニーシ
🔘質疑応答集
話者 バグワン・シュリ・ラジニーシ
翻訳 マ・アナンド・ナルタン
発行者 スワミ・アナンド・シャンタン
発行 RPJ
発売 株式会社 めるくまーる社