saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「九日めの朝」03 バグワン・シュリ・ラジニーシ

「03」

 

  導師(グル)と弟子のあいだの関係は 非常に複雑な現象だ。

或る意味では 非常に単純だが

見方を変えれば 非常に複雑なものだ。

単純だ というのは

この関係は 弟子の側でしか 存在しないものだからだ。

  師(マスター)の側には 関係などというものは 存在しない。

なぜなら  師  は  存  在  し  て  い  な  い  か  ら  だ。

彼は もはや  い  な  い  存在

彼は  誰  で  も  な  い  人 ーー 

 一見 在るように 見えはする

あなたが 自らを明け渡さないかぎり そのように 見えつづけるだろう。

ひとたび あなたが 自分を明け渡(サレンダー)したら

ひとたび あなたが  非  存  在 (non-being) と なったら

突如として あなたは

師という存在など なかったことがわかる。

 

  師(マスター)とは 一つの  不  在  ーー 

しかし その不在がわかるのは あなた自身もまた 一つの不在と なったときだけだ。

二つの 不在だけが 出会うことができる。

  もし あなた が そこにいたら

あなたは師も また  い  る  と 投映しつづける。

それは  あ  な  た  の 側からの 投映だ。

というのは、  あなたの自我(エゴ)には 無我は 見えないからだ。

同類どうしだけが 対応することができる。

あなたの自我(エゴ)は  他の自我(エゴ)なら あらゆるところで 見出すことができる。

それが 自分を護る方法に なっている。

自分の見まわすところ どこでも、即座にあなたがたは 自我(エゴ)を投映する。

だから 師(マスター)でさえ  誰  か  で あるかのように、一つの自我(エゴ)であるかのように 見える。

そしてあなたがたは、あらゆる方法手段を駆使して 師もまた 一人の自我(エゴ)であることを 自分に 証明しようとする。

 

その理屈づけは 完璧に論理的であるかもしれないが、私は 馬鹿げているものだと 言いたい。

なぜなら あなたがたには 無我の現象を 見ることはできないからだ。

今在る あなたのまま……

そのまま明け渡(サレンダー)してしまったら

突然 あなたは師(マスター)など いないことがわかる ーー !  

もしあなたが この今の瞬間 降伏して明け渡したら

あなたはこの椅子が 空っぽなのが わかるだろう。

あなたがたに 話している この者は  い  な  い  。

ここにあるのは たんなる虚空だ。

だが

自らが不在になってこそ はじめて

あなたがたは この   不  在  を 見ることができるだろう。

 

  関係は 師(マスター)の側には 存在しえないもの。

もし存在するとしたら、その導師(マスター)は 導師(マスター)などでは まったくない。

彼には あなたの道案内は できない。

彼はあなたを 道に迷わせるだけ。

その 教えは 美しいかもしれない、が

彼には 誤った道案内しか できない。

なぜなら彼のすることは それが何であれ

 ーー私は 無条件に  そ  れ  が  何  で  あ  れ  と言うーー 

まちがっていることになるからだ。

それは、このことは まちがっているが、あれは正しい というような問題ではない。

自我(エゴ)から出てくるものは  何  で  あ  れ  まちがっている !  

それは 美徳かもしれない

それは 非暴力かもしれない

それは 愛かもしれない。

しかし

自我から 出てくるものは 何であれ まちがっている。

 

 

「03」おわり…「04」へ つづく

 

 

 

 

『マイ ウエイ』⚪流れ行く白雲の道

バグワン・シュリ・ラジニーシ

🔘質疑応答集

話者   バグワン・シュリ・ラジニーシ

翻訳   マ・アナンド・ナルタン

発行者   スワミ・アナンド・シャンタン

発行   RPJ

発売   株式会社 めるくまーる社