saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章「自由への恐れ」(18)


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(18)

( 言葉通りで ありなさい。

すると その思考は 消え去るだろう。)

 

たとえば あなたが 怒っていて、そして 怒らないと決意したとする。

その時、その怒りを 抑圧してはならない。

その怒りに、ただ こう言いなさい。

「私は 怒るつもりはない」と。

そうしてら、その怒りは 消え去るだろう。

 

それは 一つのメカニズムだ。

あなたの意志が 必要だ。

怒るには エネルギーが 必要だからだ。

もしエネルギーに 満ちていて ノー と言うなら、怒りのためのエネルギーは 残されていない。

思考が 動くのは、奥深くに、 隠されていたイエスが あるからだ。

だから、思考が マインドの中で 動く。

もし あなたが ノー と言えば、そのイエスは まさに根元から 断ち切られる。

思考は 根絶される。 思考は あなたの内に 存在できない。

が、そうすれば、ノー であれ イエス であれ、あなたの言うことは 本心であるに違いない。

ノー は ノー、イエスは イエスだ。

だが、我々は イエスと言い続けながら ノーと 言い、ノーと 言いながら、イエスと 言っている。

 

すると、生全体が 混乱したものに なる。

そして あなたのマインド、あなたの身体、それらは あなたの本心が何なのか、あなたが 何を言っているのか わからなくなってしまう。

 

 

決意し、行為し、在る という この意識的な努力が、今や 人間にとっての進化になるだろう。

ブッダが あなた方と違うのは、その努力のせいであり、それ以外の何ものでもない。 潜在的に 違いはない。

ただ、その意識的な努力が 違いを生む。

人間と 人間の あいだ、その本当の差は、その 意識的な努力の差 だけだ。

ほかの全ては、ただ表面的なことだ。

いわば、着ている服が 違うだけだ。

だが、自分の内に 意識的なもの、一つの成長、自然そのものではなく、自然を越えた 内側へ向かう成長を遂げたら、あなたは はっきりと 個人に なったのだ。

 

ブッダが ある村を 通り過ぎようとすると、ブッダを罵倒するために 大勢の人々が やって来た。

その時、 ブッダは こう言った。

「あなた方は 遅く来すぎたようだ。

十年前に 私のところに 来るべきだった。

今や、私の意識は 目覚めている。

もう、私が あなた方に反応することは あり得ない。

あなた方が 私を罵り、侮辱するなら、私に関しては それでいい。

私が反応することはない。

あなた方は、私を反応するように 強いることはできない」と。

 

誰かが あなたを罵るとき、その人は あなたを怒るように仕向けている。

そして あなたが 怒れば、

あなたは ただの 怒りの感情の 奴隷ということだ。

「その人」が あなたを 怒らせた。

そして あなたは、自分が何を 言っているか 理解もせずに こう言い続ける。

「その男が 俺を怒らせた」と。

それは どういうことだろう ? 

 

その男が 何かを言って、あなたを 怒らせた。

としたら、その男が あなたの主人だ ということだ。

 

彼が 何かを言う。 彼は あなたを操れる。

 

そして彼が ボタンを押すと、あなたは 腹を立てる。 あなたは 狂う。

あなたのボタンは 誰かに押される。

それによって、あなたは 狂わされる。

 

 

ブッダ 曰く「あなた方は 来るのが遅かった、友よ。

今や、私は 自分自身の主人となった。

あなたは、私に 何かをするようには仕向けられない。

もし私が そうしたければ するし、したくなければ しない。

だから 戻りなさい。

私は あなた方の罵倒に 反応するつもりはない」と。

 

彼らは、どうしていいか わからなくなった。

この男は、まったく予期できない行動を とった。

 

あなたが 誰かを罵ると、その人は 侮辱されたわけだ。

その人は 怒りを感じる。

その人は あるやり方、あるいは 別のやり方で反応しなければ「ならない」というわけだ。

が、この男は 単純に、反応することを拒否した。

ブッダは 彼らに 言った。

「私は 別の村に行くために 急いでいる。

もしあなた方の 用件が終わったなら、私を 通させておくれ。

もし、もっと何か 言い分があれば 戻って来るから、話す準備を しておきなさい」と。

 

これが 超越だ。 自然なるものが 超越された。

反応(リアクション)は 自然で、行為(アクション)は 成長だ。

我々は 皆、 反応する。

我々には 行為ということがない・・・ただ 反応だけだ。

 

誰かが あなたを 誉めると、あなたは 良い気持ちになる。

そして 誰かが あなたを けなすと、あなたは 気分が悪くなる。

誰かが こうすれば こうなり、または ああいうことになる というふうに、あなた方の反応は 予測できる。

 

夫は 自分が家に帰ると、妻が 何を聞くか わかっている。

そして 答えを 用意しておく。

彼には、妻が その答えを信じないことが わかっている。

そして妻は 自分が どういうことを聞き、夫が どういう答えをするのか わかっている。

全てが 予測可能だ。

毎日、そういうことが起こる。

一生、起こり続ける。

同じ質問、同じ答え、同じ不信、同じ疑い、同じトリック、同じゲーム・・・人々は、そうして 演じ続ける。

それらは ただの 反応だ。

 

 

(18)終わり(19)へ 続く