saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章 質疑応答: 二番目の質問・・・(04)


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二番目の質問 (04)

 

禅師、 臨済の こういう話が伝わっている。

彼が 師のところで 学んでいた。

 

師は「おまえは 虚空に、無に、シュンニャに達しなければいかん」と、いつも彼に 強く言っていた。

 

そして ある日、臨済が やって来た。 彼は 虚空に達した。

それは 長い努力だった。 エゴを消すのは 長い努力だ。

それは 長い道程だった−−−

困難な、時には 事実上 不可能に思えるほどだ。

だが、 彼は それに達した。

 

臨済は 師のところにやってきて、笑い、踊り、エクスタシーの中で 喜びを 感じていた。

 

彼は 師の足元に ひれ伏し、こう言った。

「私は虚空に達しました。今や虚空は そこにあります」

師は 臨済を とても冷たく見やり、こう言った。

「さあ、行って、その虚空もまた捨ててきなさい。

それを ここに持ってこないように。

その虚空もまた捨てなさい。 その無を 捨てなさい。

もし お前が 無を手に入れたら、それはまた 何か に なる」

 

虚空でさえ 何か だ。

もし 感じられるなら、それは 何か だ。

もし 知ることが できるなら、それは 何か だ。

見ることができるなら、それは 何か だ。

無でさえも、もしあなたが 手に したら、何か に なる。

 

師は言った。「その虚空を 捨てるのだ。

無ですらもないとき、わしのところに来るがいい」と。

臨済は 泣いた。

なぜ、 臨済は 自らそれに 気づけなかったのだろうか ? 

 

虚空とは 一つの 達成だ。 それは 何か だ。

もし 無に到達すれば、無は 一つの 物 になる。

 

あなたが 虚空の中に 深く入っていく時−−−

どんな考えもなく、マインドに どんな波動もなく、

もしあなたが その状態に留まることができれば、突如として、虚空は ただただ 消え去る。

そして自己(セルフ)が 知られる。

そうしたら、あなたは 中心に 統一 (センタリング)した。

その時、あなたは 真の中心にやって来た。

 

そこには 偽の中心があり、偽の中心の 不在があり、その次に 真の中心がある。

 

私は「統一」という言葉で、基盤、実在の基盤そのものを 示している。

それは あなたの中心ではない。

なぜなら、あなたは 偽りの中心なのだ。

 

だから それは、あなたの中心ではない。

それは中心−−−ただ 実在の中心だ。

まさに存在そのものが、実在に統一している。

 

あなたは偽の中心だ。 ゆえに、あなたは 消え去る。

が、あなたが消え去ることで、もし その虚空が あなたの内側のスペースを 満たすように感じ始めるなら、エゴが とても微妙なやり方で 戻ってきたのだ。

 

とても微妙なやり方で、エゴが戻ってきた。

エゴは こう言うだろう、「私は この虚空に達した」と。

それなら、エゴは まだそこにある。

エゴが 戻ってくるのを許してはならない。

虚空の状態に 留まりなさい。

虚空に対し、何も してはならない。

それを 考える ことすら、してはならない。

それについて 何かを感じることすら、しては ならない。

 

虚空は そこにある。

くつろいで いなさい。

その虚空は 消え去るだろう。

それは エゴの 消極的な 形に過ぎない。

本当のものが 消え去った。 虚空は その影に過ぎない。

 

影を捕まえないように。 影に 寄り添っていかないように。

なぜなら、本物が近くにあって 初めて、 影は 留まることが できるのだから。

そういう状況で、初めて影は 留まれる。

そして 最後には、虚空も消え去る。

すると、そこに 統一がある。

そのとき 初めて、あなたは いなくなり、“ あなた ” が 在る−−−

今までの あなた としては いなくなり、純粋な実存としての “あなた”、全体としての “あなた” が 在る。

 

そのポイントを、深く留めておかねばならない−−−

それは あなたの中心ではなく、 すべての中心なのだ と。

 

 

(04)終わり(05/終回)へ 続く