saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章 質疑応答: 二番目の質問・・・(03)


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二番目の質問 (03)

( それが第一の ステップだ−−−エゴが 消え去るとき。

エゴとは 偽の実体だ。 それは そこにはない。

ただ あるように 見えるだけだ )

 

あなたは、エゴが 内側にある と 考え続ける。

それは あなたの 考えからきているのであり、実存から ではない。

それは マインドのものであり、実体からのものではない。

「エゴが そこにある」と考えれば、そこにある からだ。

そしてあなたが 見つけ出そうとしても、それは 見つからない。

あなたが 内側を見入ると、虚空を、 空(くう)を感じる。

 

そこで、その 空(くう)の状態で 踏ん張る。

その虚空に 留まりなさい。

 

マインドは とても ずるい。

それは ゲームを演じることが できる。

もし考え始めれば、またもや、あなたは 内側の スペースを埋めてしまう。

 

たとえあなたが「これが 虚空だ」と 言ったとしても、あなたは虚空の 外にいる。

すでに 虚空の外に 出てしまっている。

すると その虚空は消え去る−−−あ な た が 入ってしまう。

 

そのとき 虚空の状態に戻り 留まりなさい。

虚空のままで いるがいい。

考えるのではなく−−−それは 難しい。

そういう状況に直面すると、とても恐く、人は くらくらする。

それは奈落−−−無限なる奈落だ。

あなたは どこまでも 落ちていく。

そういう状況で、人は くらくらしてしまう。

 

そして考え始める。

考え始めた瞬間、再び 自分が地面にいるのを 見い出す。

そのとき、もうあなたは 虚空のなかには いない。

 

何があろうと、何かを 考える ことでその虚空から逃げないでいられたら、突如として 虚空もまた消え去る。

エゴが 消え去ったように−−−

実際、虚空のように見えたのは エゴのせいだ。

エゴは スペースを満たす 物だった。

それは家具だった。 そして内側に虚空は なかった。

 

今やエゴは 消え去った。

が、前にはエゴがあったので、それを虚空のように感じた。

ただ、いつもそこにあった物が もう無いので、この空の感覚がある。

 

あなた方が この椅子のなかに、私を見ている。

そして 突然、私を椅子のなかに見い出せなくなれば、椅子は 空っぽに見える−−−それは、椅子が空っぽになったからではなく、ただ単に、誰かが そのスペースを埋めていて、今、その人が もういなくなったからだ。

 

というように、あなた方は 椅子ではなく、虚空を見る。

あなた方が 虚空を見るのは、あるものの不在が 空っぽのように見えるからだ。

それでも、あなたは 椅子を 見ていない。

 

あなたは 一人の人を 見ていた。

今や、 あなたは その人の 不在 を 見ている。

それでも、椅子を見ていない。

 

エゴが消え去る時、あなたは 虚空 を 感じる。

 

それは ただの 始まりだ。

その虚空も また、エゴの 消極的な部分だからだ−−−別の側面。

その虚空もまた、消え去らねば ならない。

 

 

 

(03)終わり(04)へ 続く