saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(07)

(07)

( もしあなたが 判断しなければ  考える ということは あり得ない。

もし 判断しないなら、ただ気づきを 保ったままでいられる −−− が、 考えることは できない )

 

花が ここにある

そして、私があなたに「見なさい。 しかし考えてはいけない。

その花を 見なさい。 しかし考えてはならない」と 言おうとする。

そうしたら 何が できる ? 

 

もし考えることが 許されなければ、何ができるのか ? 

観ることしか できないではないか。

気づいていることしか、できないではないか。

あなたは その花を 意識するしかない。

あなたは 現物と 直面できる。

花は ここにある −−− さあ、 あなたは それと 向かい合うことができる。

 

そこで、もし考えることが許されなければ

「それは きれいだ。 それは きれいではない。 私はその花のことを知っている」とか、「それは 不思議な花だ −−− 今までに 一度も 見たことがない」と 言うことはできない。

あなたには 何も言えない。

言葉を 使うことはできない。

あらゆる言葉は、その中に 一つの価値を持つからだ。

あらゆる言葉が 一種の判断だ。

言葉は判断することで 重くなる。

言葉は 決して 公平ではない。

言葉を使うのは、あなたが 判断した時だ。

だから、あなたは言葉を使うことができない。

言葉を 発することはできない。

もし私が「これは花だ −−− それを見なさい −−− しかし考えてはいけない」と言えば、言葉を発することは許されない。

すると、あなたに 何が できる ? 

 

観照者に なれるだけだ。

もしあなたが 考えずに そこにいて、ただ対象と向かい合っているとすれば、それが 観るということだ。

 

その時、観ることは 受け身の気づきになる。

覚えておきなさい −−− 受け身だ ! 

 

 

(07)終わり(08)へ 続く