(07)
( もしあなたが 判断しなければ 考える ということは あり得ない。
もし 判断しないなら、ただ気づきを 保ったままでいられる −−− が、 考えることは できない )
花が ここにある
そして、私があなたに「見なさい。 しかし考えてはいけない。
その花を 見なさい。 しかし考えてはならない」と 言おうとする。
そうしたら 何が できる ?
もし考えることが 許されなければ、何ができるのか ?
観ることしか できないではないか。
気づいていることしか、できないではないか。
あなたは その花を 意識するしかない。
あなたは 現物と 直面できる。
花は ここにある −−− さあ、 あなたは それと 向かい合うことができる。
そこで、もし考えることが許されなければ
「それは きれいだ。 それは きれいではない。 私はその花のことを知っている」とか、「それは 不思議な花だ −−− 今までに 一度も 見たことがない」と 言うことはできない。
あなたには 何も言えない。
言葉を 使うことはできない。
あらゆる言葉は、その中に 一つの価値を持つからだ。
あらゆる言葉が 一種の判断だ。
言葉は判断することで 重くなる。
言葉は 決して 公平ではない。
言葉を使うのは、あなたが 判断した時だ。
だから、あなたは言葉を使うことができない。
言葉を 発することはできない。
もし私が「これは花だ −−− それを見なさい −−− しかし考えてはいけない」と言えば、言葉を発することは許されない。
すると、あなたに 何が できる ?
観照者に なれるだけだ。
もしあなたが 考えずに そこにいて、ただ対象と向かい合っているとすれば、それが 観るということだ。
その時、観ることは 受け身の気づきになる。
覚えておきなさい −−− 受け身だ !
(07)終わり(08)へ 続く