saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(08)

(08)

( その時、観ることは 受け身の気づきになる。

覚えておきなさい −−− 受け身だ !  )

 

考えるというのは 能動的だ。

あなたは 何かをしている。

そして あなたが 何かをしていたら ただの受け身ではない。

あなたは 鏡のようではない −−− 何かを している。

あなたが 何かをしたら、その対象を 変えてしまう。

 

私が 花を見て「きれいだ」と 言うとする。

そうしたら、私は その花を 変えたことになる。

そのとき、私は その花に 何かを押し付けている。

今や その花が どうあろうと、花そのものに、花の美を感じる 私の感覚が プラスされる。

今や、花は 遠くに いってしまった。

花と私の間に、判断する私の感覚、その花の 美への 私の評価が 中に入る。

すると、その花は 私にとって もう同じではない。

質が 変わってしまった。

私というものが その花の中に 入ってしまった。

今や、私の判断が 事実を突き通してしまった。

もはや その花の美しさは 事実ではなく、より虚構に近くなる。

花が美しい という感覚は、その花のものではなく 私のものだ。

私は 事実の中に入った。

今や、事実は もう純潔ではない。

私は それを 汚してしまった。

もはや私のマインドは、その事実の 一部ではなくなった。

実際、私のマインドが その一部になった というのは 

私の過去が その一部になった ということだ。

私が「この花は きれいだ」と言う時、

それは 私の 過去の知識から 判断しているからだ。

 

なぜ あなたは、この花はきれいだ と言えるのだろう ? 

それは あなたの過去の体験から、こういうものはきれいだ というものがあり、それに応じて 判断しているからだ。

 

マインドとは、あなたの過去、あなたの 記憶のことだ。

その過去が、現在という瞬間に 入ってきた。

 

(08)終わり(09)へ 続く