saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第15章「観ること: 全ての技法の基礎」(10)

(10)

(…花が そこに在り、あなたが そこに在るとき 

「この花は きれいだ」と言うことさえ不可能だ。

あなたは現在の瞬間において、どんな判断も 打ち出すことはできない。

あらゆる 判断、言い訳は 過去のものだ )

 

もし私が「あなたを愛している」と言えば 

それは 過去になったということだ。

もし私が「この花は きれいだ」と 言えば 

私が それを感じ、判断し −−− 過去になったということだ。

 

観る とは 常に現在の瞬間であり、決して過去ではない。

そして、 考える とは 常に過去だ。

考えることは 死んでいる。 観ることは 生きている。

 

そこで、次の区分は 第一に、考える ということは能動的であること −−− 何かを することだ。

そして 観る ということは、受け身であること −−− 何もしない、ただ “在る” ことだ。

考えることは 常に 過去だ。

過ぎ去り、もう存在せずに 廃れたものだ。

観ることは 常に 現在 −−− 存在するものだ。

 

もしあなたが 延々と 考え続けるなら 

観ることが どういうことかは、決してわからない。

 

考えることを止める。

考えることを 止めることが、観ることの 始まりだ。

考えが止まることが 観るということだ。

では、どうすれば いい ? −−− 

 

我々にとって 考えることは、長い習慣に なっている。

ちょうど ロボットのように 自動的だ。

あなたが 考えているのではない。

もはやあなたは 決めてはいない。

それは 自動的な習慣だ。

だから あなたは他に何もできない。

花がそこにあれば、考えることが 始まる。

 

我々は、 体験を言葉にせずにいる という経験がない。

ただ、小さな子供だけが その体験を持っている。

自分の体験を 言葉にしないでいる体験は、本当の体験だ。

言葉にすることで、人は その体験から 逃げている。

私が「その花は きれいだ」と言うとき、もう その花は 消え去る。

私の関心事は 今や自分のマインドであり、花ではなくなっている。

今や それは、私の マインドの中のイメージであり、花そのもの ではない。

今は 花自体が マインドの中の絵であり、マインドの中の 思考だ。

そうなると、私は 過去の自分の経験と比べ、判断できる。

だが、花は もう そこにはない。

あなたが 体験を 言葉にするとき 

あなたは その体験から閉ざされている。

体験を 言葉にせずに 意識的であれば 

あなたはオープンで 受容的な状態でいる。

観る とは、自分の経験に 絶えずオープンであり 閉じないでいることだ。

では、どうすればいい ? 

 

この、いわゆる考えるという 自動的な習慣が 

どこかで打ち破られる 必要がある。

それには 何であれ、自分が 何かする時に 言葉にしないで 行なうよう、心がけることだ。

 

それは 難しく、骨が折れる。

最初は、絶対的に不可能のように思える。

が、そうではない、不可能ではなく、 難しいのだ。

 

あなたが 道を歩いているとする。

そのとき、言葉にせずに 歩く、ただ 歩く。

たとえ数秒間でも その体験をすれば、あなたは 違う世界 −−− 言葉のない世界、真実の世界、人間が 自分自身で作り出した マインドの世界でないものを 垣間見るだろう。

 

あなたが 何かを食べているとする。

その時、言葉にしないで 食べる。

 

誰かが 睦州に聞いた −−− 睦州は 偉大な禅のマスターだった −−−「あなたは 一体、どんな修行をなさっているのですか ?」と。

すると 睦州は言った、「わしの修行は ごく簡単だ。

腹が減ったら 飯を食い、 眠くなったら寝る −−− ただ それだけのこと」と。

聞いた男は とても驚いて こう言った。

「何を おっしゃっているのですか ?

私も食べています。 私も寝ています。

みんな同じことをしています。

では、あなたの修行は どういう内容なのですか ?」

すると 睦州は 言った。

「お前さんは 飯を食うとき、同時に多くのことをする。

ただ食うだけではない。

お前さんが寝るとき、寝ること以外に あらゆることをしている。

わしは 飯を食うときは ただ飯を食い、眠くなったら ただ寝る。

全て やることは 全一だ !」

 

もしあなたが 頭の中で 言葉にしないでいるなら 全ての行為が全一になる。

だから、マインドの中で 何一つ 言葉にしないように、考えないようにしてごらん。

 

ただ 食べること −−− そうすれば、食べることが瞑想になる −−− なぜなら、もし言葉なしでいれば、あなたは 観照者になるからだ。

 

 

(10)終わり(11)へ 続く