saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「第14章」二番目の質問・・・(07)

二番目の質問 (07/終回)

 

(…あなたたちは 何を考えているのだね ?

自分自身を 見つけるのと、 誰か他の人を捜すのと どっちがいいかね ?」と )

 

それは まったく異なるマインドだ −−− 

否定にも肯定にも とらわれていない −−− 

あたかも そのことが無意味のように。

意味というものは、あなたが 対抗意識を 持っている時でさえ、存在できる。

むしろ、対抗意識を 持っている方が、より存在する。

どんな状態のマインドであろうと、それを保っていること、保とうと努力していること、それは あなたがまだ 闘っていることを 示している。

それは 悟りではない。

それは まだ、何かを 押しつけるための 一種の努力だ。

 

だから、静かであること、無心であること −−− 

そして、実在するものを 知ることだ。

 

そのことを 考えないこと。

そのことについて、何かを しようとしないこと。

哲学や 形而上学的な論理に、興味を 抱かないこと。

観念に 関心を持たないことだ −−− 

そうして初めて、事実が はっきりと表される。

 

もしあなたが 観念に関心を 持っていれば 

あなたは 何かを事実の上に 投影し 

事実は ただ、スクリーンとして提供される。

それは 危険だ。

そうすれば、あなたは自分が 知りたいことを知るに至る。

自分が好きなことを 投影できる。

 

マインドには 二つの能力がある。

一つは 何でも投影できる ということ。

もう一つは、完全に 空っぽになれる ということ。

それらがマインドの 二つの可能性だ。

 

もしマインドが 積極的な投影として 使われれば 

あなたは 自分の好きなことを 悟ることができる。

が、それは 悟りではない −−− 

あなたは 夢の中に 生きている。

 

マインドを 空っぽにすることだ。

その 空っぽの マインドで 無心で事実と 向き合うがいい −−− 

そのとき、あなたは 実在するものを知る。

 

 

「第14章 事実との直面」(07)終わり・・・