「第15章」(01)
観ることは、中心を定める(センタリング)ための テクニックだ。
それを踏まえて、このセンタリングについて 話し合おう。
人間は 二通りの 生き方ができる。
人間は、自己の 周辺から生きることもできれば、中心から 生きることもできる。
周辺は エゴに属し、中心は 実存に属する。
もし エゴから生きるとすれば、常に 他者との関わり合いの中で 生きる。
周辺は 他者と関わり合っている。
何であれ、あなたが することは 行為ではなく、いつも反応だ。
あなたは 自分にされたことへの 反応として、あることを する。
周辺からの行為は、存在しない −−− 全てが 反応だ。
何一つ、あなたの中心から 反応は やって来ていない。
ある意味で、あなたは ただの 環境の奴隷だ。
あなたは 何も していない。
そうするように 仕向けられていると 言ったほうがいい。
だが、中心から行為すれば、それは 正反対だ。
中心から その行為がやって来ることで あなたは 行為し始める。
そうして初めて、あなたは 関わり合いとしてではなく、自分自身の権威により 存在し始める。
(01)終わり(02)へ 続く