saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

「相反するものが互いに補い合う」 (03)

 

(…肉体的には 七十才の人でも、精神年齢は 十三~十五才だ。

マインドは 未発達の、初歩の状態のままだ !  )

 

肉体は完成していても、マインドは 不完全のままであり  魂には 触れられてさえいない。

人間は、いかなる魂も 発達せずに 死んでいく。

 

誰かが グルジェフ

「私達には 魂があるのですか ?」と聞くと、いつも彼は 「いいや ! 時たま、一人の人が 魂を持つ ということが起こる。 時たま、そうしたことがあるだけだ」と 言った。

グルジェフは「たまに、稀に一人の人が 魂を持つということが 起こるだけだ。 あなた方は マインドを完成させてさえいない。 なのに どうして魂を持てるというのだ ?」と 言っていた。

 

完成されていない肉体は、マインドを持てない。

そして、完成されていないマインドは、魂を 持てない。

また、完成されていない魂は、神を 顕現できない。

実際、肉体は マインドのための 子宮として働き 

マインドは 魂のための 子宮として働く。

そして魂は、神のための 子宮として働く。

 

人間は 定まった状態で、完成された状態で、生まれてこない。

人間は、多種多様な潜在性として誕生する。

だから、人間は 自然以下に 下降することもある。

人間は どんな動物よりも動物的で あり得るし

スーパーマンであることも 可能だし

神そのものでも あり得る。

可能性の幅は 人間の中に存在している。

 

とすれば、あなたには 二つのことができる。

もしあなたのマインドが 否定的で 抑圧的ならば

「善」でない物事と 延々と闘い続ける。

あなたは セックスと闘い、怒りと 闘う。

あなたは 貪欲と闘い、嫉妬心と闘い、暴力と 闘う −−− 

あなたは 闘い続ける。

 

だが、暴力と 闘い続ける時には、決して 非暴力では あり得ない。

暴力と 闘うためには、暴力的であることが 要求されるからだ。

暴力的でなくして、暴力とは 闘えない。

 

そして いわゆる聖人達は、みな暴力的だ −−− 

根深い暴力性。

無論、彼らの暴力は 他人に対するものではない。

彼らの暴力は、自分自身に対するものだ。

だから、誰も 反対できない。

あなたは 彼らを 賞賛しさえする。

彼らは自分自身に反対している −−− とても暴力的だ ! 

 

あなたは暴力と 闘うことは できない。

暴力的でなくして、どうして暴力と 闘う ことができる ? 

どうして、怒りを 心に持たずに 怒りと闘えるだろう ? 

怒りと闘う という まさにその姿勢が、微妙な 怒りだ。

怒りと闘う ことが、あなたが 怒っているという意味だ。

そして あなたは、自分の怒りに くつろげない。

あなたは 否定的な態度を 取ることは できる。

そこに存在するものと 闘うことはできる。

そして 闘えば闘うほど、それらと 同じになっていく。

 

セックスと 闘っている人は、とても性的になる。

その人の 行動全てが、性的になる。

座ること、立つこと、歩いていることが性的になる。

彼は 余りにも闘いに固執していて、あらゆる物事が

セックスの色合い、風味を 持つことになる。

 

あなたが 何かと闘う時には

敵対する 相手のテクニックを 使うことになる。

もしあなたが 勝利を得たいのなら

敵が使っているのと 同じ手口を 使うだろう。

最後にあなたが 勝ったとしても、あなたに勝利はない。

なぜなら 手口が同じだからだ。

実際、あなたは負け続けてきた。

 

怒りと闘って もし 負けても、怒りは そこにあるだろう。

たとえ勝ったとしても、怒りは 存在する。

ただ 怒りだけが、怒りに勝つことができる。

この 否定的な闘いは、あなたの意識を

もっともっと 狭いものにする。

そしてあなたは、全てを 恐れるようになるだろう。

否定的なマインドは、常に 恐怖の中にいる。

やること為すこと 全てが 罪になり、全て川 やましさを生み出し、全てが 恐怖を作り出す。

あなたは、あらゆるものから遠く逃げている。

あなたの意識は 狭くなり、広がることはないだろう。

あなたは 余りにも恐くて、ただ自分の内に逃げてしまう。

周り全てが 敵だらけだ。

あなたが 否定的だと、それらの敵を 作り出してしまう。

それが 抑圧だ。

そして最後には 精神病院へ行くことになる。

 

 

(03)終わり(04)へ 続く