saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

「相反するものが互いに補い合う」 (02)

 

(…人間は、どうにでもなる 可能性がある)

人間は自然以下に 落ちることもできれば

倒錯することも あり得る。

狂ってしまうことも あり得る。

人間は自然を越えることができ、スーパーマンになることもでき、覚者(ブッダ)に なることもできる。

もう一つ、動物は 本能とともに生まれる。

ある意味で、彼らは 完全体で生まれている。

動物は 発育した状態で生まれてくる。

人間には どんな本能もなく、また 生まれる時には 発育していない状態で生まれる。

人間の場合は 後になって発育する。

だから多くの 可能性が開き、幅広い可能性が存在する。

人間は 未発育の状態で生まれる −−− 精神的なものだけではなく 肉体的にも、人間は未発育の状態で生まれる。

他の どんな動物も、未発達の肉体では生まれない。

肉体は 完全な状態だ。

だから動物の子供は 生まれた状態で 親がいなくても 生きていける。

 

人間の子供は 未発達の状態で生まれ、精神構造においても、多くのものが 生まれてから後に 発達していく −−−

それには 何年もの歳月がかかる。

人間の子供は、母親の子宮の中で 完全に発育していない。

そのために「母親」という現象が生まれる −−−

子供を育てるということが、誕生の後も継続するからだ。

もし 子供が 完全に発育した状態で生まれていれば

子供を養育することはなくなる。

そこで、家族制度というもの 全て、その結果としての社会、社会というもの全てが誕生した。

それは 人間の子供が、未発達で生まれてくるからだ。

子供は 面倒を見なければならないし 世話しなければならない。

生まれて 二十年の後、彼は 本当の意味で  母親の子宮から出てくる。

その二十年間、彼は家族を必要とし、愛情を注いでもらうことを必要とし、社会を必要とし、その中で 精神的、肉体的に 発育していく。

それは より大きな 子宮だ。

だが、子供は 肉体的に完成した時でさえ  精神的には 完成していない。

彼は マインドを 発達させる必要がある。

そして実際、マインドの平均年齢は  十四才を 決して越えていない。

マインドの 平均年齢は、十三~十五才以下だ。

平均的な 精神年齢は、十三~十五才以下だ。

 

肉体的には 七十才の人でも、精神年齢は 十三~十五才だ。

マインドは 未発達の、初歩の状態のままだ ! 

 

 

(02)終わり(03)へ 続く